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【コラム】同年齢の高宗と明治天皇の運命

2009.08.31 17:12
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 日本で政治大地震が発生した。 1955年に自民党体制が始まって以来54年目に初めて本格的な政権交代が実現したのだ。 韓国でいえば、98年に金大中(キム・デジュン)の執権で建国50年目に与野党間で政権が代わったのと同じだ(60年4・19革命後に野党執権があったが9カ月にすぎなかった)。 金大中の執権で韓国はどれほど大きな変化を経験しただろうか。 日本の選挙革命は今後、多くの変化をもたらすはずだ。 韓日競争の歴史にも第3章が開かれる。

競争の第1章は1852年から韓国が解放された1945年までだった。 19世紀後半の「西勢東漸」の激変期、朝鮮と日本の指導者は高宗(コジョン)と明治天皇だった。 歴史のいたずらか、2人は同じ1852年に生まれた。振り返ると、歴史の神は2人を同じ出発ラインに立たせて競走させたようだ。 2人が生まれた時、朝鮮と日本の国力はそれほど差がなかった。 しかし2人が死去した時(明治1912年、高宗1919年)、両国の運命は天国と地獄だった。

 
両国は地政学的な位置も、内部の権力構造も違った。 しかし結局、両国の運命を分けたのは力だった。 日本はいち早く西洋文物を取り入れて力をつけたのに対し、朝鮮はそうでなかった。 最も象徴的の力は砲艦だった。 1840年のアヘン戦争で中国(清)の数十万の大軍が英国の砲艦に手の打ちようなく倒れた。 清の屈辱を眺めながら日本は西洋の砲艦(武力)がどれほど恐ろしいか痛感した。 1853年、米国の艦隊が日本の開港を要求した。 日本人は米国の蒸気船を「黒船」と呼び、恐怖を感じながら素直に要求に応じた。 日本は不平等条約で力に屈服したが、内では刀を研いでいた。

日本は英国から砲艦を導入した。 そして1875年、その船で韓国の永宗島(ヨンジョンド)を砲撃した。 その数年前、大院君(テウォングン)は江華島(カンファド)砲兵でフランス・米国の艦隊と戦っている。 交戦の末、艦隊が退くと、朝鮮は西洋の武力に勝てると信じた。 わずか数隻の戦艦に接しながら西洋という‘象’を誤ってとらえたのだ。 大院君に続いて息子の高宗も砲台ばかり強化し、西洋を見習って船を製造しようという考えは持たなかった。 しかし日本の明治天皇は船の重要性を看破した。 明治天皇はドッグを建設して大きな船を製造した。 日本はこの砲艦で清とロシアを撃破し、朝鮮を占領した。

競争の第2章は45年の解放から今までだ。 48年に建国した韓国は失われた日帝36年をばん回するために圧縮工程を採った。 韓国人は高速道路を充実させ、鉄と自動車を作った。 半導体工場を建設し、携帯電話とLCD・LEDテレビを生産した。 そして何よりも船を作った。 韓国は現在、いくつかの種目で世界1位になった。 朝鮮は造船しなかったが、韓国は世界1位の造船国だ。 電子はソニーを追い抜き、自動車はトヨタを追撃している。 ゴルフをはじめとすさまざまなスポーツでも韓国は日本がつかんでいない世界1位を達成している。 経済規模は小さいが、財政赤字・失業率・危機脱出でも韓国は日本よりましだ。 韓国は先祖の敗北を一つずつ復元しているのだ。

今から始まる第3章はどんな姿になるか分からない。 民主党政権が「新日本」を見せることができなければ、第3章というのはそもそも存在しないのかもしれない。 しかし鳩山代表と国民が力を合わせて自民党の歳月の旧殻を脱げば、日本の競争速度は大きく変わるはずだ。 明治維新(1868年)と太平洋戦争、そして1960-80年代の高度成長に続き、もう一つの日本の歴史が登場するかもしれない。 政治革命は経済革命よりも心理的に衝撃的であるからだ。 鳩山代表の民主党と競走する韓国の政治勢力は李明博(イ・ミョンバク)大統領とハンナラ党だ。 ハンナラ党の姿を見れば、韓日競争の第3章が心配になる。

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