【その時の今日】 解放は悲劇の源泉ながら民族史の画期的転換点
「その日が来ればその日が来れば/ 三角山が起きてふわっと踊りなど踊り/ 漢江の水がひっくり返って湧き上がるその日が/ この命が絶たれる前に来てくれさえすれば/ 私は夜空に飛ぶ烏と一緒に/ 鐘路の鍾を頭で突いて鳴く/ 頭蓋骨は壊れて粉々になっても/ うれしくて死ねばむしろ何の恨みが残ろうか」民族詩人シム・フンが1930年3・1節を迎え、身悶えしながら待ちこがれたその日は泥棒と一緒に意外にも我々のそばにやって来た。1945年8月6日と9日、広島と長崎に落ちたリトルボーイ(Little Boy)とファットマン(Fat Man)2発の原子爆弾の前に「全員玉砕」を叫んで「本土決戦」を誓った日本はひざまずいた。8月15日正午、裕仁日本天皇は連合国に無条件降参の意を明らかにする放送をした。第2次世界大戦の終戦とともにこの地の人々に最大の傷と苦痛を与えた日帝の植民統治は35年ぶりにその終焉を告げた。