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【その時の今日】 解放は悲劇の源泉ながら民族史の画期的転換点

2009.08.14 14:48
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「その日が来ればその日が来れば/ 三角山が起きてふわっと踊りなど踊り/ 漢江の水がひっくり返って湧き上がるその日が/ この命が絶たれる前に来てくれさえすれば/ 私は夜空に飛ぶ烏と一緒に/ 鐘路の鍾を頭で突いて鳴く/ 頭蓋骨は壊れて粉々になっても/ うれしくて死ねばむしろ何の恨みが残ろうか」民族詩人シム・フンが1930年3・1節を迎え、身悶えしながら待ちこがれたその日は泥棒と一緒に意外にも我々のそばにやって来た。1945年8月6日と9日、広島と長崎に落ちたリトルボーイ(Little Boy)とファットマン(Fat Man)2発の原子爆弾の前に「全員玉砕」を叫んで「本土決戦」を誓った日本はひざまずいた。8月15日正午、裕仁日本天皇は連合国に無条件降参の意を明らかにする放送をした。第2次世界大戦の終戦とともにこの地の人々に最大の傷と苦痛を与えた日帝の植民統治は35年ぶりにその終焉を告げた。

 
「子供も走って万歳/ 大人も走って万歳/ 犬が吠える声/ ニワトリ鳴く声まで/ 万歳万歳/ 山河も輝いて/ 日までも新しく輝いたように/ 本当に明朗だ」西大門刑務所から釈放され解放の感激を全身で表す写真の中の独立闘士たちと彼らを囲んだ皆の心はホン・ミョンヒの詩句に込められている。しかしその日の感激はあまり長続きできなかった。我らの力で争って得ることができなかった、連合軍のくれた「恩恵の贈り物」解放は、ヤヌスの2つの顔を持ったパンドラの箱だった。38度線を境界にした米・ソ両軍の分割占領による南北分断、520万人が犠牲となった同族の殺し合い、そして冷戦の尖鋭な対決場化と分断の固着化をもたらした憂うつな解放はこの地の人々に祝福ではない呪いとして過ぎ去っていった。

このように解放は悲劇の源泉でもあるが、視覚を異にすれば我々の潜在力を歴史上最高潮で発散させてくれた画期的転換点としても位置づけることができる。大韓民国を中心に見たとき、解放は米国とのつながりをもとに海洋志向の開かれた社会に急速に進化し「漢江の奇跡」を遂げたきっかけとなり、「男女同権社会」と「他者とともに暮らす世の中」を夢見るほど成長させた希望の源泉でもあった。だから我々の現代史の否定的側面のみを強調する省察過剰の視覚や肯定的な面のみを著しく表す自信過剰の視覚、どれも今日の韓国社会を健康に維持する歴史認識として不十分だ。未来のための正しい鏡として省察と自負という2つの羽を一緒に広げた均衡の取れた歴史を刻むのが必要な今日だ。


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