【その時の今日】金一vsアントニオ猪木、韓日競争心の代理者
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金一(左)、アントニオ猪木(右) |
1965年7月、プロレスラーの金一(キム・イル=大木金太郎)が8年ぶりに日本から帰ってきた。 金一はテレビ時代の最初の英雄だった。 近所で唯一テレビがある里長の家の庭、またはたばこの煙が充満した漫画店の椅子に座り、国民は劣勢だった金一が頭突き一発で相手を倒す白黒画面を見ながら歓呼した。 食べていたサツマイモが口から飛び出しても、たばこの灰が落ちても気付かないほど熱中していた。 虎と煙管が描かれたガウンを着た金一は手をあげながら猛虎のように吠えた。
金一(写真左)のことを考えると、宿敵だったアントニオ猪木(写真右)も同時に思い出す。 力道山の弟子だった2人は韓国と日本の国家競争心の代理者となって何度も戦った。 猪木は3つの伝説を持つ。 一つ目は‘あごの霊感’だ。 猪木は自分の長いあごが急所の首を保護する武器だと自慢した。 猪木が眠っている間に夫人があごの大きさを測ったところ、中指がすべて入ったという話も伝わる。 二つ目は‘糖尿病ファイター’。 病院に行かずに自ら病気を治したことで有名だ。 三つ目は‘闘魂ビンタ’だ。 議員時代(89年スポーツ平和党を設立して参院議員になった)に早稲田大学で講演をした後、自分の体を誇示するために学生に自分の腹を殴らせた。 パンチを受けたところ猪木は失神しかけた。 その学生が少林寺拳法の有段者だったからだ。 その時、猪木は反射的に学生の頬を殴った。 この場面がテレビで中継され、話題になった。 テレビを見ていた浪人生が猪木に頼んで闘魂ビンタを受けたところ、学生全員が東京大学に合格した。 この話が伝えられると、猪木の家の前には闘魂ビンタを受けようという人たちが列をつくった。