盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が死亡してから1カ月が経った。 数日間、梅雨の雨が降った。 慶尚道(キョンサンド)のどの岩にも雨が降った。 盧前大統領の血痕も消えたはずだ。 先日までずっと「盧武鉉」が時代の話題だった。 ところが「李明博独裁」発言で金大中(キム・デジュン=DJ)元大統領がその場を占めている。 公開的かつ完全なDJのカムバックだ。
DJの時局診断は誤った。 大統領が一部の国政運営を誤るのとその政権が独裁であるのとは全く別の問題だ。 民主か独裁かを分ける明白な基準がある。 言論・集会・表現の自由、選挙による政権交代、三権分立などだ。 すべての基準で現政権は独裁でない。 大統領を殺人魔と呼び、騒がしく牛海綿状脳症(BSE)扇動放送をし、法を執行する警察官に暴行を加え、デモ隊が道路を占拠し、自由に政権を交代しながら三権が独立している、そのような独裁国家はない。 にもかかわらずDJはなぜ反独裁決起という松明を持ち出したのか。 さらにDJは人生の‘9回裏’だ。 最後の打席の無理なスイングがそれまでの勝負をひっくり返すおそれもあるというのに、DJはなぜこうした負担を考えないのか。
もしかするとDJにはメサイアコンプレックスがあるのはでないか。 現代史に民主化と南北和解のメシア一人が記録されるなら、それは自分でなければならないとDJは信じているのではないか。 李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・ジョンヒ)・全斗煥(チョン・ドゥファン)は「独裁の束」としてまとめ、自分は一人の巨人として反独裁メシアになるべきだと考えているのではないか。 前任者は概して南北対決を追求し、自分だけが本質的かつ効率的な南北和解のメシアだと信じているのではないか。 そのような確信の中で盧武鉉が反李明博情緒に火をつけ、南北がお互い砲口を向けるこの時期が、まさにメシアが再臨すべき時期だとDJは考えたのかもしれない。