絵にも四柱八字があれば「夢遊桃源図」ほど数奇な運命の作品も珍しいだろう。東洋絵画最高レベルの傑作という賛辞が過分でない作品だが、今日、日本の地ではあるが伝えられているのは幸い中の幸いだ。もう少しで逆賊謀議の証拠品として利用されるところだったのだから。理由のこうだ。
1447年のある日、世宗(セジョン)の3番目の息子・安平(アンピョン)大君は夢で武陵桃源を見た。そのかすかな記憶の中の恍惚の境地を忘れないよう画家・安堅(アンギョン)に絵を描かせた。3年後の正月初日、安平大君は学者・ソンビ(士人)と鑑賞会を開いた。当代の名筆・安平が表題を書き、金宗瑞(キム・ジョンソ)・成三問(ソン・サンムン)、朴彭年(パク・ペンニョン)・崔恒(チェ・ハン)・李ゲ(イ・ゲ)ら20余人が讃詩を詠じて書いた。夢遊桃源図は詩・書・画の3節が一つになった名品となった。