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【取材日記】憲政史に記録打ち立てた2月の暴力国会

2009.03.04 09:00
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2月2日。金炯旿(キム・ヒョンオ)国会議長の開会の辞には希望と期待が盛り込まれていた。「2月の国会は経済危機克服国会、雇用創出に寄与する国会にならなければならない」。経済危機克服国会にならなければならない。という彼の言葉にだれも異議を唱えなかった。

2月11日。民主党張世煥(チャン・セファン)議員の対政府質問は鋭かった。「李明博(イ・ミョンバク)政権がファッショ体制を構築するためにまい進しています。竜山(ヨンサン)の撤去民が立てこもる理由と彼らの生命・安全は最初からこの政権の関心外でした。ただファッショ体制で行く犠牲が必要なだけです。私は李明博政権をサイコパス政権と規定します」。ハンナラ党の議席がざわめいた。「行き過ぎではないのか」。しかしこれは予告編にすぎなかった。

 
3月1日。民主党の党幹部らは国会本館ロッテンダーホールの階段の上にいたハンナラ党の車明進(チャ・ミョンジン)議員をにらんでいた。すでに怒号が飛び交った後だった。憎悪は行動につながった。ある関係者は車議員の首を絞め腕を折った。車議員は階段の下に倒れた。その様子をロッテンダーホールで座り込みをしていたハンナラ党議員らは見守るだけだった。

フイルムを注意深くさかのぼって見た2月の国会。正確に言うと第281回臨時国会のゆがんだ姿だ。閉会日の3日午前0時ごろまで本会議場で与野党議員の間には怒号と小競り合いが続いた。2月の国会が残した傷は深く広い。

本会議が開かれた2日と3日の2日間に160余りの法案が処理された。しかし法案審査にかけた時間はせいぜい1週間ほどだ。2月19日まではメディア関連法など争点法案をめぐる対立のため常任委員会は開かれもしなかった。2月25日の文化放送委員会では膿があふれ出た。メディア法が委員長の職権で上程された。野党は常任委員会ボイコットを宣言し、国会の空転は3月2日に与野党が合意文を作成した後も続いた。

2月の国会が残した傷はこれにとどまらない。ハンマーと消化器が乱舞した2008年末の暴力国会に対する「国際的」関心が鎮まりもしないうちに暴力は国会議事堂の中にまたもはい出てきた。2月27日にはある国会議員が発議しようとした法案に不満を持つ部外者が国会内で報復行為を行った。田麗玉(チョン・ヨオク)議員暴行事件だ。2日後に国会議員を党職者が国会議事堂内で暴行したことも以前には見られないシーンだった。憲政史上はじめてという表現を使うのが恥ずかしいほどだ。そのせいで議員が議員を暴行した事件は大きなニュースにもならなかった。

来月には18代国会が誕生から1年を迎える。その1年間に18代国会は本当に多くの記録を打ち立てた。問題はそのほとんどが恥ずかしい記録だという点だ。

議会(Parliament)という用語を構成するフランス語「Parlier」や漢字の「議」はどちらも「話す」という意味を持っている。議会とは結局「言葉でする集まり」という意味だ。憲政史を書き換えてまで暴力の記録を残すのは本当に今国会で終わらせなければならない。暴力のしっぽを断ち切る人はほかならぬ国会議員本人たちだ。

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