「バイアメリカ」は、ある日急に降ってきた話ではない。オバマキャンプの大統領選挙公約も、バイアメリカだった。経済が貧しくなればお決まりのメニューのように飛び出した。政治的理解や票心と結合すればもっと大きな威力を発揮した。「外国人労働者を追い出して米国人だけ使おう」という「バイアメリカン」と、ともすれば対になる。
10年前、シアトルでもそうだった。WTO閣僚会議が開かれた1999年12月初め。シアトルは5万人のデモ隊に閉じこめられた。「米国産鉄鋼製品と働き口を守ろう」と米鉄鋼労組が会議場をふさいだ。都市機能がまひするほどだった。66年、ベトナム反戦デモ以来の最大規模だった。それなのに米国警察は後手に回った。「官製デモ」という話が出るほどだった。ビル・クリントン当時大統領が「デモ隊の主張に共感する」と言ったのはなぜか。マイク・ムーア当時WTO事務総長が 「これはデモクラシーではない」と責めたが、それのみだった。バイアメリカ、バイアメリカンに敷かれた「アメリカ主義」の炎を鎮火させることなどとんでもなかった。