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「走ることで小説を学ぶ」男、村上春樹(2)

2009.01.24 16:38
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プロ野球チーム・ヤクルトスワローズのファンである村上は作家になった経緯をこのように紹介している。「1978年4月1日午後1時半ごろ。神宮球場外野席の芝生の上で寝っ転がりビールを飲みながら、時折、空を見上げて試合を観戦していた。1回裏ヤクルトの先頭打者のデイヴ・ヒルトンがレフトにヒットを放った。バットに球が当たる鋭い音が球場に響きわたった…“そうだ、小説を書いてみよう”と思ったのは、その瞬間だった。晴れた空、芝生の感触、軽快なバットの音を今でも覚えている。この時、空から何かが静かに舞い降りてきた。僕はこれをしっかり受け止めた」。このようにして村上は『風の歌を聴け』を書き、『群像』の新人文学賞の応募作に応募し、当選した。

村上は『1973年のピンボール』に続き、3作目の作品『羊をめぐる冒険』を執筆後、作家として執筆活動に専念する決意をし、経営していたジャズバーを処分した。作家の条件は資質と集中力、そして持久力だ。先天的な資質はどうにもならないが、集中力と持久力は訓練で体得できる。村上は禁煙すると同時に夜の外出をあきらめ、時間とエネルギーを効率的に配分、自己管理を始めた。村上は「文を書くことは頭脳労働だが、1冊の本を完成するのは肉体労働だ」と話す。

 
村上は持久力を養うためにはマラソンが最適だと考え、1982年(当時33歳)から今まで毎年1回以上、フルマラソンを走ってきた。1983年、村上はギリシャ・アテネからマラソン発祥地のマラトンまでフルコースを単独で走った。1996年には北海道のオホーツク海岸に沿って、サロマ湖畔を走る100キロにものぼるウルトラマラソンを完走した。村上は33歳という年齢を特別なものとして考えている。村上はイエスが十字架にかけられたのも、村上が好きなF・スコット・フィッツジェラルドの凋落が始まったのも33歳だったことに注目している。


「走ることで小説を学ぶ」男、村上春樹(3)

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