朝鮮の青年、金山(キム・サン、1905-38)の人生を私たちが記憶しているのは米国人女性のニム・ウェールズのおかげだ。1937年の中国・延安は、1万2000キロの大長征を終えた中国共産党の革命拠点だった。 ウェールズは西洋メディアの特派員で、国民党のものものしい警戒網を潜り抜けて延安に入ったエドガー・スノーの夫人だった。 毛沢東にインタビューをしたスノーが毛沢東の同志を主題にした力作『中国の赤い星』を出したとすれば、ウェールズは延安で出会った金山の一代記を描いた『アリラン』を残した。
ウェールズが見た金山は「熱い霊魂と心を持った純粋な人道主義者であり、高貴な人物」だった。 死を恐れない意志と思慮深い行動、熱い心と冷たい理性を兼ね備えた‘全人格体’と見たのだ。 彼の長くない人生を描写するのに‘波瀾万丈’という常套語は限りなく足りない。 15歳にして単身で鴨緑江(アムノッカン)を渡り、700里の道を歩いて到着した新興武官学校で抗日活動家としての基本素養を固めた彼の活動舞台は、上海、北京、広州、延安など中国大陸全域に広がった。 安昌浩(アン・チャンホ)、金元鳳(キム・ウォンボン)、李東輝(イ・ドンフィ)から学び、義烈団員と苦楽をともにし、トルストイのヒューマニズムに心酔した彼は、多くの抗日闘士がそうであったように、中国共産党との連帯闘争に祖国の運命をかけた。 彼の目標は、満州とシベリア一帯の独立軍を糾合した後、韓半島進攻作戦を繰り広げて日本を追い出すことだった。