高麗時代に石油が出て、人々が普段使っていたという記録がある。 「石油は高麗(コリョ)にある。 石岩から流れ出るが、泉水と入り混じって湧いて出て、ヌルヌルするのは肉の油のようだ。 その地方の人々は草につけて壷の中に保管している。 色が黒くていかにも漆塗りのようだ。 その地方の人たちはほとんどこれで灯りをつけるが、実に明るい。 水と一緒ならより猛烈に燃え、食べることはできない。 その煙は非常に濃く、煤煙をかき集めて墨をつくるが、光沢がありながらも漆のように黒く、松煙墨よりもよい」。中国・明の博物学者、李時珍の『本草綱目』に出てくる叙述だ。 しかしわれわれの記録にはこうした内容を伝えるものがなく、真偽は明らかでない。
朝鮮末に黄玹(ファン・ヒョン)が書いた『梅泉野録』に、石油を初めて使用したという部分が出てくる。 「石油は海の中から出るともいい、石炭から作るともいい、石を蒸してその水を取るともいい、その説が異なる。 韓国では庚辰年(1880年)に初めて使われたが、その色には赤みがあり、においがきついが、1合あれば10日間も夜に灯りをつけることができる」。以後、韓日合併まで米国とロシア産の石油が朝鮮で激しい販売競争を繰り広げたという。