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「韓半島の分断、400年前の壬辰倭乱が源流」(1)

2008.04.11 13:34
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1592年4月13日、小西行長率いる日本軍の先発隊が釜山(プサン)沿岸に上陸し、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は始まった。 火縄銃で武装した日本軍が釜山からソウルまで占領するのには20日もかからなかった。 今年は壬辰倭乱勃発から416年、終戦から410年になる年だ。

宋復(ソン・ボク)延世(ヨンセ)大社会学科名誉教授とハン・ミョンギ明智(ミョンジ)大史学科教授(46)が8日午後、中央日報の会議室で、壬辰倭乱の意味を振り返る特別対談を行った。 宋教授は定年退任後、「朝鮮のリーダーシップ」研究に没頭、昨年末には『偉大な出会い-西厓・柳成龍(リュ・ソンリョン)』を出版し、壬辰倭乱の性格について新たな視点を掲げた。 壬辰倭乱を韓半島分断の源流と把握し、分断を阻止するのにリーダーシップを発揮した人物に西厓・柳成龍を挙げた。

 



ハン・ミョンギ教授は99年に著書『壬辰倭乱と韓中関係』を出して以来、壬辰倭乱研究を代表する歴史学者として注目されている。 日本と中国という強大国に挟まれた韓半島の状況は、400余年前も今日も大きく変わらないという意見に、2人は共感した。 また、韓半島の力が弱まる度に韓半島の自尊はもちろん、東アジアの平和までが崩れる状況が繰り返されてきたという点を改めて考えなければならない、と強調した。

宋教授=私は現在の韓半島分断の源流が壬辰倭乱にあるとみている。 日本と中国が400年前、韓半島をめぐって激突した歴史が今日の現実として表れている。 壬辰倭乱は結果的に‘朝鮮分割戦争’だった。 当時日本は‘朝鮮割地’という表現を使った。 明が救援軍を送った理由は、遼東と北京を守る壁として朝鮮が必要だったからだ。 柳成龍は『懲毖録』で‘藩籬之戦’と記録した。 日本と明の朝鮮分割の意図を見抜き、これを阻止するのに卓越したリーダーシップを発揮した人物がまさに西厓・柳成龍だった。 壬辰倭乱当時も今も、韓半島は中国・日本という大きなクルミ割りに挟まれたクルミのような存在だ。

ハン教授=壬辰倭乱は16世紀、朝鮮の対日政策が破たんした状況で起きた。 15世紀まで朝鮮はかなり開放的かつ弾力的で、軍事力も強かった。 例えば申叔舟の『海東諸国記』は、今でも日本で‘外国人が書いた歴代最高の人文地理書’という評価を受けている。 このような対外感覚が16世紀に入って弱まり、結局、日本で起きた変化を読みとるのに失敗した。 韓国の国力が弱まった時には東アジアで戦争が起きている。 われわれの自尊だけでなく、東アジアの平和を維持するためにも、われわれは一定水準以上の力を維持する必要がある。 壬辰倭乱の意味を改めて見直さなければならない理由だ。

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