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<母娘失踪事件>李昊星元選手とは?…90年代‘怪力の4番打者’

2008.03.11 13:06
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遺体で発見された李昊星(イ・ホソン、41)元野球選手は、野球の名門ヘテタイガーズの最後の主将だった。普段から先輩にも後輩にも気を使う、親分肌の選手だったという。

 
1983年、光州第一高時代、大統領杯と鳳凰旗、黄金獅子旗優勝の立役者だった。延世大学時代にも各種大会で打撃賞を受賞、89年にはアジア野球選手権大会の優勝に貢献したとして体育勲章麒麟章も受章した。

90年、ヘテに入団した彼はその年、打撃7位(3割4厘)に入った。翌年21本塁打(5位)、25盗塁(4位)で20-20クラブ入りした。入団後2年連続ゴールデングローブを受賞し、90年代後半にはチームの4番打者として活躍した。ファンには「ひとさし指で釘を打ち込める怪力」を持った選手といわれて人気が高かった。

ヘテは李元選手が活躍した12年間に4回優勝している。李元選手はプロ野球選手協議会問題で主力選手が退出させられると協議会再建の先頭に立った。このときの経験をもとに2001年、第3代協議会長として活動する。

しかしその年のシーズンが終わって球団から退出通告を受けた。コーチの提議を振り切って事業家に転身した彼は、自分の名をつけて光州に「ホソン・ウエディングプラザ」を建てた。2003年、ウエディング事業を廃業し、家族たちを保証人にして10億ウォンを借り、順天(スンチョン)でスクリーン競馬事業を始める。当時、35億ウォンをという敷地建物を担保に銀行から融資を受けた。李元選手の知人は「スクリーン競馬場を建てるのに100億ウォンかかるが李元選手が資金がなく、はじめから借りるほかなかった」と話した。

しかし市民団体たちの反発で認可が遅れると、借金を返せなくなった。彼は他人名義の建物主になりすまし「賃貸分譲権を与える」などと欺いて投資金を集め、2005年に詐欺容疑で逮捕された。2カ月後に保釈されて再起をはかったが、借金を返すことはできずに逃避生活を送る。2006年光州を発った李元選手は、詐欺などで7件起訴されていた状態だった(一時中止)。京畿道盆唐(キョンギド・プンダン)に住む夫人とは別居中だという。李元選手は2005年8月に発生した組職暴力団失踪事件の関連疑惑も受けていた。

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