<朝鮮通信使400年>将軍にだけ許された道、通信使一行を通す
朝鮮通信使一行は1607年5月17日、京都を発って江戸に向かった。当時も幕府は通信使らの旅程に支障をきたしてはいけないと格別の神経を使った。幕府の将軍だけが通った表通りを通信使一行に勧めたのが代表的な例だ。
将軍はこのように通信使を通して自分の地位を精一杯高めるのに活用した。血で血を洗う戦国時代を終えた徳川家康は大名と呼ばれる地方領主たちを牽制する過程で、一時戦争を経験した朝鮮との平和が切実な望みだった。当時、儒学や医学など学問の先進国だった朝鮮の外交使節を定期的に招待して自分の政治的地位を高める必要もあった。通信使の招請にかかる莫大な費用の相当部分を大名に押し付けたのも統治の術の1つだった。通信使一行はこうした歓待の中、日本の代表的な名勝地琵琶湖に感嘆しながら、豊かな野を通って江戸へ向かった。
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近江八幡市の朝鮮人街道の碑。将軍だけが通ったとされる道を通って江戸へ向かった。 |