<バスケット>故国を恨んで日本へ…そして帰ってきた河恩珠

<バスケット>故国を恨んで日本へ…そして帰ってきた河恩珠

2007年03月08日15時48分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  国内女子バスケットボール最長身選手の河恩珠(ハ・ウンジュ、242センチ)。 03年に日本国籍を取得し、実業団舞台でプレーした河恩珠は、昨年、韓国国籍を回復した。 そして新韓(シンハン)銀行と年俸1億2000万ウォンでに契約した。

  新韓銀行は7日、錦湖(キムホ)生命を73-71で降して15勝1敗をマーク、優勝まで残り1勝としている。イ・ヨンジュ新韓銀行監督は「外国人がいない夏のシーズンに恩珠が大きい仕事をするはず」とし「代表チームが出場する6月のアジア女子バスケットボール選手権(ABC)大会でも良い姿を見せるだろう」と語った。

  ◆‘もう一人の父’井上眞一氏=河恩珠には‘父’がもう一人いる。 名古屋・桜花学園高校バスケットボール部の井上眞一監督(60)だ。 井上監督は河恩珠を再びバスケットボールに熱中させた恩人であり、日本に帰化する際には‘法的な父’になってくれた。 井上監督は7日、奨忠(チャンチュン)体育館を訪れ、河恩珠の父親・河東基(ハ・ドンギ)氏(49)と並んで座りながら試合を見守った。

  15歳だった98年、河恩珠は日本に留学した。 韓国でひざを負傷し、もはやバスケットボールができる状態ではなかった。 転学する際、学校側は「運動放棄覚書」を要求した。 他のチームでプレーするのではないかという懸念からだ。 桜花学園高校時代、日本語はやや実力不足だったが、英語と数学は成績が良かった。 担任は「上位圏の大学も狙える」と話していた。

  「韓国料理を食べたくないか」。リハビリ中だった99年のある日、井上監督が尋ねてきた。 河恩珠は笑顔で「食べたい」と答えた。井上監督に接してバスケットボールに対する気持ちが戻ってきた。 そして01年、河恩珠が率いる桜花学園高校は全国大会を制した。 井上監督のバスケットボール哲学は「ゆっくりと、一歩ずつ」だった。 井上監督は河恩珠を時間をかけて復活させるため、3年生の6月まで試合に出さなかった。 結果(全国大会3回優勝)は残りの1学期につかんだ。

  ◆韓国の‘情’がいい=日本で河恩珠はスターだった。 シャンソン化粧品を優勝に導き、「スカイ」とニックネームも付いた。 その彼女が3年ぶりに韓国国籍を回復した。 現実的な選択だった。 米女子プロバスケット(WNBA)進出を支援すると言っていたシャンソン化粧品が最後に約束を守らなかった。

  日本バスケットボール協会は「日本代表でプレーしてほしい」と要請した。 「韓国国家代表(河昇鎮)の姉が日本の代表でプレーするというのは考えられなかった。 ちょうどその時期、新韓銀行から(韓国に帰ってくれば)WNBA進出を支援するという話があった」。

  一人部屋の宿舎を使用し、お互い干渉せず、食事の後は各自の時間を過ごすという日本の生活から、4-5人が共同で部屋を使い、練習が終わっても同僚と一緒に過ごす韓国の生活に適応するのは難しかった。 しかし韓国の生活が好きになってきた。 ある日、先輩らと外食したが、席を立つときに銭周媛(チョン・ジュウォン)先輩が言った。 「今日は私がご馳走する」。
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