<コラム>岐路に立った大韓民国

<コラム>岐路に立った大韓民国

2006年10月26日16時02分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「黄長燁(ファン・ジャンヨップ)回顧録」の改訂版が先週出版された。 亡命生活10年の所感が新たに追加された。 黄氏の回顧は誤った判断に対する悔恨で始まる。

  「私が北朝鮮を離れた1997年初め、北朝鮮は崩壊を目の前にしていた。 このままいけば5年以内に崩壊すると信じた」。韓国行きを決行した当時、北朝鮮で稼働している工場は軍需工場だけであったし、それも5年もすれば屑鉄の山になる状況だったため、金正日(キム・ジョンイル)政権は自動的に武装解除すると見込んでいたということだ。

  彼は自分の予測が外れるしかなかった理由を韓国に来てから分かったと言う。 北朝鮮の崩壊を最も望む国は韓国だと信じていたが、韓国に来てみるとそうではなかったということだ。 むしろ韓国は北朝鮮の崩壊を防ぐために金正日政権を支援するのに率先していたのだ。 弁解のようでもあり、自責のようでもある。

  94年の金日成(キム・イルソン)主席の死去後、洪水や干害など自然災害が相次ぎ、北朝鮮の崩壊が迫っているという観測が頻繁に出ていた。 北朝鮮権府の核心にいた黄氏でさえそう考えていたのだから、外部観察者らが金正日政権の崩壊を時間の問題で見ていたのも無理はなかった。

  しかし大勢に対抗して北朝鮮政権の耐久性を主張した‘所信’ある学者がいた。昨日辞意を表明した李鍾ソック(イ・ジョンソック)統一部長官だ。 彼は95年発表した著書「現代北朝鮮の理解」で、「客観的に存在する一切の事物を具体的実在の中で内在的連関性と合法側性で研究した」と明らかにしている。 いわゆる「内在的接近法」を通じて彼が下した結論は、北朝鮮は崩壊しないという方向であったし、彼の診断通り10年余が過ぎた今でも北朝鮮は‘健在’している。

  北朝鮮をどう見るかによって対北朝鮮政策は変わるしかない。 体制自体の矛盾と欠陥にもかかわらず、金正日政権が相当期間維持していると見るなら、和解と協力を通じて共存を模索するのが正しい方向かもしれない。 しかし早期崩壊が不可避と見るなら、崩壊過程を管理し、崩壊後に対応する方向に対北朝鮮政策の重心を移すのがよい。

  北朝鮮が核実験のボタンを押した瞬間、北朝鮮核問題は韓国・北朝鮮(南北)の手を離れて国際政治のチェスゲームになった。 北朝鮮がパキスタンやインドのケースを信じて核実験を強行したとするなら、国際政治の現実に対する自己中心的無知と無理解でしかない。 北東アジアの力学構図は北朝鮮の核兵器保有を絶対に容認できなくなっている。 核実験で北朝鮮は、核というがん細胞を摘出しないかぎり死亡するしかない時限付きの命であることを宣布したようなものだ。

  今また提起されている北朝鮮崩壊論は10年前とは次元が違う。 北朝鮮内部の問題でなく外部環境の問題であるからだ。 米国は大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)を通じてひとまずがん細胞の転移を防ぎながら、北朝鮮政権の息が途絶えるのを待つという戦略である。 黙っていても‘悪役’は中国が担うことになっている。

  われわれはいま選択の岐路に立った。 色あせた包容政策の残りのわずかな光を握りしめ北朝鮮の核の担保として引きずられるのか、金正日政権崩壊後を見込んで対北朝鮮政策の枠を新たに組み直すのか、決定しなければならない。 国際社会の選択はすでに下されている。 核兵器を持った北朝鮮とは共存できないということだ。 なら、われわれの選択は自明である。 国際社会と協調することだ。 ずっと北朝鮮を顔色をうかがいながらためらっていては、われわれまでが国際社会の孤児に転落し、韓半島の運命を左右する大きなチェス盤から除け者にされるはずだ。 100年前の旧韓末がそうであり、60年前の解放政局がそうだった。

  包容政策の象徴である李長官の辞任は、内在的接近法で北朝鮮を見ることが、北朝鮮の核実験でもはや効用性が薄れたという現実的判断に基づく決断だと信じたい。

  「過去を記憶できない人は同じ過去を繰り返すしかない」。米国哲学者ジョージ・サンタヤナの忠告が思い出される朝だ。
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