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「李舜臣の英雄化は日本が主導した」

2006.06.20 12:33
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中堅韓国史学者であるチョン・ドゥヒ西江(ソガン)大教授(59)が大きな決断をした。

韓国史学界の主流の理念である民族主義の代案を模索しようと取り掛かった。50代後半に民族主義から脱民族主義への史観の変化を対内外に宣言したのだ。壬辰の乱(1592~1598)を素材とし19~22日、慶南統営市(キョンナム・トンヨンシ)マリーナリゾートで開かれる国際学術大会でのことだ。テーマは「壬辰の乱(文禄の役):朝日戦争から東アジア三国戦争に」チョン教授は西江大国際韓国学センター所長を務めながら3年間、大会を準備して来た。

 
400年も昔の壬辰の乱を持ち出した理由は何だろうか。まずチョン教授の専攻がその時代だ。そして北東アジア三国が過去の歴史や領土問題をめぐり繰り返す歴史戦争の糸口を探すのに壬辰の乱がよい素材になると考えたからだ。これにモクフン財団ソン・ドンチャン(フォーシス会長)理事長が1億4000万ウォンを寄付した。

◆最初の大規模北東アジア国際戦=チョン教授が厳選した国内外の学者40人が発表と討論に参加する。参加者らはおおむね壬辰の乱が韓日中の3カ国間に起こった最初の大規模北東アジア国際戦という観点を共有する。そしてこれまで個別国家レベルで進行されてきた研究を批判する。

特に執権勢力らが戦争を政治的に活用してきた過程にスポットを当てた。日本については19世紀末~20世紀初め、帝国主義者たちが壬辰の乱を「大陸侵略の聖戦」と美化した点が主に批判を受けた。

これに加えてチョン教授は「日本の壬辰の乱の歪曲をまともに批判するために、我々の歴史敍述に対する反省も必要だ」と述べた。

◆李舜臣(イ・スンシン)、郭再祐(クァク・ジェウ)将軍を振り返る=20日、パク・ファンム・ナクソンデ研究所研究院とハ・ヨンフィ・テドン古典研究所教授はそれぞれ壬辰の乱の英雄李舜臣、郭再祐将軍と関連通念を覆す解釈を出す予定だ。

パク研究員は「李舜臣、帝国と植民地の間で」という論文を通じて「李舜臣将軍を『民族の守護者』『東洋のネルソン』と作り上げたのは日本」とし「日清戦争を控えた1892年、日本の現役陸軍大尉である柴山尚則が書いた『李舜臣伝』が李舜臣を世界史の名将に仕立てた母胎だった」と主張した。

彼は「3.1運動以後、文一平(ムン・イルピョン)、申采浩(シン・チェホ)、李光洙(イ・グァンス)らがそれぞれ李舜臣に関する論文などを発表した」とし「李舜臣を『救国の英雄』と表したのは日中戦争以後の総動員体制で、植民地朝鮮と帝国日本の間の内鮮一体と統合を強調する論理として活用された」と主張した。ハ教授は「火旺山城(ファワンサンソン)の記憶」という論文を通じて「1597年、加藤清正の侵略を郭再祐将軍が慶南昌寧火旺山城で塞いだという記録は実在より誇張されている」と主張した。彼は「もともと火旺山城は戦争がない疎開先にすぎなかった」とし「137年の歳月が経った1734年に出版された『倡義(チャンイ)録』を通じて火旺山城の記憶は誇張され始めた」と明らかにした。

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