【ピープル】日本で在日韓国人人権のために26年、…金敬得さん死亡

【ピープル】日本で在日韓国人人権のために26年、…金敬得さん死亡

2006年01月01日19時27分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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在日韓国人人権運動の求心点として活動してきた金敬得(キム・キョンドック、写真)弁護士が12月28日夜、東京で胃がんにより死去した。56歳だった。

  最近まで旺盛な活動をくり広げてきた故人の突然の他界の消息に、多くの人々が悲しみを隠すことができなかった。葬儀は故人の意によって家族だけで30日、おごそかに行われた。

  訃告もしなかった。金弁護士は外国国籍者として初めて日本で弁護士資格を取った人だ。しかしただ取得したのではなく、日本の司法と戦って取ったものだった。

  そのため「弁護士金敬得」は在日韓国人差別撤廃運動の象徴となり、26年間の弁護士生活も同胞人権運動一筋に身を捧げた。

  1949年和歌山市で在日韓国人メッキ工の息子に生まれた彼は、学生時代は在日韓国人という事実を隠して暮らしていた。彼の人生の転機は大学卒業とともに訪れた。名門私立である早稲田大学法学部を卒業したが、国籍のせいでどこにも就職できなかったからだ。

  在日韓国人としてのアイデンティティに初めて目覚めた青年、金敬得は、そのころ金沢という日本式姓を捨てた。そして司法試験に挑戦し76年、合格した。日本司法部は弁護士のたまごの金敬得氏に帰化を勧めた。外国人は司法研修院に入所できず、弁護士資格取得が不可能だからだった。

  彼はこれを拒否し、国籍条項撤廃運動をした。金弁護士は生前「訴訟をしたら最終判決までは10年はかかるだろうと予想したが、それでも帰化はできなかった」と言っていた。

  日本の多くの法曹家が金弁護士に同調し、日本の司法部はついに国籍要件を緩和して彼に弁護士になることができる道を開いた。今日まで40人の在日韓国人たちが韓国または朝鮮籍を維持したまま、弁護士資格を取得することができたのは金弁護士の闘いの成果だ。

  79年に開業した彼は、在日韓国人人権運動の求心点となった。法律相談所を運営し差別と偏見に苦しんだ同胞たちと痛みをともにし、これに立ち向かうさまざまな運動を活発に広げた。

  代表的なのが80年代の指紋捺印拒否訴訟だ。外国人を「潜在的犯罪者」として扱う不当な指紋捺印義務を撤廃しようという運動を起こし、多くの在日韓国人が賛同した。このほかに国民年金訴訟、東京都管理職採用拒否訴訟など同胞たちの人権にかかわる訴訟にはもれなく金弁護士がかかわっていた。

  戦後の補償訴訟を通じて日本人の植民責任に対する反省と補償を促したこともはずせない彼の業績だ。最近は在日韓国人たちの地方参政権要求運動の音頭を取って来た。彼は「自分を取り戻す道」という文で「在日韓国人は日本植民統治から始まったことなので、そのアイデンティティを保障するのは日本の歴史的責務」と主張した。

  金弁護士は目が回るほど忙しく活動し、自分の健康には顧みる暇がなかった。初めて襲ったがんは乗り越えたが、最近再発し、治療を受けたてきたが、再起はできなかった。

  遺族は夫人と2男2女がいる。故人の意によって葬儀に参加できなかった知人たちは、彼の足跡を称える追慕の集いを2月に東京で行うことにしている。
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