<韓日協定文書公開>朴正煕元大統領「独島問題融通性まったくない」

<韓日協定文書公開>朴正煕元大統領「独島問題融通性まったくない」

2005年08月27日10時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  26日、外交部の文書公開で13年8カ月の間にわたった韓日協定交渉の全貌が初めて現れた。交渉は1951年に始まり1965年6月22日、当時のイ・ドンウォン外相と椎名悦三郎日本外相の署名で締めくくられている。

  韓国ははじめから難しい立場だった。51年、サンフランシスコ講和条約の署名国(戦勝国)になることができなかったからだ。文書は以後、韓国が日本と対立し、紆余曲折を経て最終的に中途半端な合意に至る過程を示した形になった。

  ◇果てしない対立=韓日は51年10月、本会談のための初予備会談で請求権から在日韓国人問題に至るまで、すべての懸案で対立した。52年2月の第1回会談で韓国が「韓日間の財産および請求権協定要綱8項目」で請求権を要求すると、日本は直ちに「逆請求権」を申し立てた。「日本が韓国を開発したのだから受け取るべき金がある」という論理だった。在日韓国人永住権付与を要求すると日本は在日韓国人強制退去措置拡大で圧迫してきた。

  53年4~7月の第2回会談で日本は独島(トクト、日本名:竹島)領有権を主張した。このような日本の態度は敗戦国・侵略国ではない利益供与国だった。

  ◇朴正煕の対日外交=交渉は61年5.16以後、朴正煕(パク・チョンヒ)政権が登場し、本格化した。その年の11月、朴正煕国家再建最高会議議長の訪日に続き、翌年11月、金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長と大平正芳外相間の「金-大平メモ」で請求権問題が一段落し、韓日協定の基礎ができた。

  しかし朴政権は独島、請求権金額などにおいては立場を明確にしていた。朴議長は62年11月8日、金中央情報部長に訓令を送り「請求権を独立祝い金名目にすることは受け入れることができない」「日本が独島問題を申し立てれば会談懸案ではないことを指摘せよ」と指示した。1カ月前の10月17日には「革命政府でも『6億ドル』以下は到底受け入れることができない」と訓示している。

  朴正煕政府は韓日協定署名を目の前にした65年6月には駐日大使に緊急公文書を送り「独島問題では少しも融通性を許容しない」と指示した。朴正煕本人は61年、池田首相と通訳なしで会談し「日本側が(請求権要求に対して)5000万ドルを云々することは不当だ」と批判した。しかし朴政権は農林・国防省の反対にもかかわらず、請求権問題にこだわり、既存の40マイル専管水域の立場を放棄した。漁業協力金名目の9000万ドル借款を受け、12マイル専管水域という日本の案を受け入れた。

  ◇未完の外交か=韓日協定は日帝時代条約を「源泉無効化」できなかった。今も日本の独島領有権主張は続く。協定に「請求権問題解決」を明示、従軍慰安婦・強制徴用者・原爆被害者などに対する個人賠償権も得ることができなかった。そのため韓日協定が「貧困脱出・国家再建のための不可避な選択」という評価と「クーデターで執権した軍事政権が徹底できなかった過去の整理」という批判を同時に受ける。

  それでもこれまで関連者たちの回顧や断片的記録と知られていた交渉全貌が公式文書を通じて明らかになったという点で意味がある。「屈辱外交」「独島を売って請求権資金をもらった」など憶測が横行した韓日回談に対する客観的評価の根拠が生じたのだ。

  外交部文書公開審査班に参加したチョン・ヒョンス慶北(キョンブック)大教授は「私も一時は屈辱会談だと思っていたが、記録を見ると政府が国益のために最善をつくしていた」と評価した。
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