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世宗肥満、光海君火病…朝鮮王朝の疾病博士論文

2005.08.22 09:06
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朝鮮時代の王の疾病と治療方法を通じて朝鮮時代の医学の変遷史を研究した博士学位論文が発表された。

21日、ソウル大によると、大学院医学科医史学を専攻したキム・ジョンソンさんは「朝鮮時代の王の疾病治療を通じて見た医学の変遷」というタイトルの博士学位論文を提出、今月末、学位を受ける。

 
論文によると太祖(テジョ)以後、中宗(チュンジョン)全般までは王の疾病治療を担当する内医院が誕生し、明との医学交流が活発になったが、実際に王の疾病治療は主に高麗(コリョ)時代から伝われた素朴な対症療法にとどまる場合が多かった。

世宗(セジョン)は若い時代、肉類なしには食事ができないほど肉食を好み、狩りなどの運動が嫌いだったことから肥満、35歳以後は糖尿病と推定される病気や目の病気をわずらった。これを温泉で治療しようとしたが、特に効果はみられなかった。

文宗(ムンジョン)は王世子時代からおできに悩んだが、治療法はおできの部位に膏薬を塗るかヒルに吸わせるか、薬を飲む程度だった。その結果、文宗は40歳にもならぬ若さで死んだ。

燕山君(ヨンサングン)時代には医員たちが「淫欲を満たそうとする」王の機嫌を取るため「陽気を助ける」草虫と蛇を進上したという記録もある。

中宗(チュンジョン)は高熱が出た際、解熱剤として「野人乾水」を食べた。「野人乾」というのは人糞だ。ドラマ『大長今(宮廷女官チャングムの誓い)』の背景になった中宗後半から景宗(キョンジョン)のときまでは御医が明の医学の影響を受けて王の疾病治療の原因究明を重視するようにしたほか、特に壬辰の乱(文禄の役)後、鍼灸術が発達し、内医院での治療に広く使われた。

寒がりな上、鬱火病と眼病を患っていた光海君(クァンヘグン)は、飲み薬があまり効かず、針治療を受けた。38歳の退位後にも内医員の診療をしばらく受けていたが、67歳で死亡した。

英祖(ヨンジョ)以後は、王の疾病治療に鍼術や強い薬物を避けて日常的な補陽法の健康管理を重視する傾向が表れた。

普段から補陽法を重視した英祖は自分の長寿と健康の秘訣を「高麗人参による正気」と考え、72歳になった年には1年に20根の高麗人参を食べたという記録が残っている。

英祖は徹底的な健康管理により、朝鮮時代王のうち最長寿である83歳まで寿命を享受した。

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