大韓帝国最後の皇世孫・李玖氏が死去

大韓帝国最後の皇世孫・李玖氏が死去

2005年07月19日18時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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全州・李(チョンジュ・イ)氏の大同種薬院(全州李氏の集い)は19日、大韓帝国最後の皇世孫(王族の子孫)、李玖(イ・グ、全州李氏、大同種薬院の名誉総裁)氏が16日午後、日本で心臓まひ(推定)で亡くなった、と発表した。74歳。

  高宗(コジョン、朝鮮第26代王)皇帝の王子(純宗皇帝の弟)、英親(ヨンチン)王の息子である故人の死去で、大韓帝国の嫡流が絶えたわけだ。大同種薬院関係者は「皇世孫・李玖氏が、長崎の某ホテルで亡くなったまま発見された」とし「ホテルの従業員が人影がないのを不審に思い、部屋のドアを開けてみたところ、トイレで息をひきとった状態だった」と伝えた。

  国権を強奪された後、日本の植民支配体制によってほぼ強制に日本へ渡った英親王と李方子妃の間で、1931年に次男として生まれた故人は、兄の晋(ジン)が生後8か月で死亡し、事実上、最後の皇世孫になった。日本生れの故人は学習院で教育を受けた後、14歳のごろ米国へ向かいマサチューセッツ工科大学(MIT)の建築科を卒業しており、ニューヨークの建築会社に勤めたりもした。58年10月、ニューヨークの某教会で、ドイツ系米国人の娘と結婚したが、子どもはもうけていない。

  故人は63年に、病床の両親、夫人とともに帰国し、昌徳宮(チャンドックン)内の楽善斉(ナクソンジェ)で起居した。しかし、70年に英親王が死去し、77年に夫人と別居した後、事業の失敗などで再び日本に戻った故人は、宗親から、子どもを産めなかった夫人との離婚を勧められ、82年に離婚した。故人は、89年に母親・李方子まで亡くなった後、宗親会などの勧誘を受け入れ、96年に永久帰国し事業を展開したりもしたが、失敗し、再び渡日、東京渋谷の小さなマンションで暮らしていた。

  葬儀は9日間にわたって行われ、全州李氏大同種薬院のイ・ファンウィ理事長と兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長が共同委員長を務める。葬儀委員会は、日本から遺体が届き次第、故人が起居していた楽善斉に賓庁(朝鮮王朝時代に大臣らが会議を行った所)を設ける計画だ。葬式は24日。墓地は、京畿道南楊州市・洪陵(キョンギド・ナムヤンジュシ・ホンルン)の裏側にある英親王墓地の霊園。02-765-2124。
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