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<取材日記>歴史に‘もし’はないが… | Joongang Ilbo | 中央日報

<取材日記>歴史に‘もし’はないが…

<取材日記>歴史に‘もし’はないが…

2005年01月18日20時47分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  17日に公開された韓日協定文書は、われわれの恥ずかしい過去を暴く。 植民地支配者の日本が「被害補償はない。経済協力だけがある」と主張したが、これをきちんと質すことはできなかった。 強制的に連行された徴用者の血と汗を代価に交渉を行ったが、お金を手にした後、被害者にはごく少額だけを補償した。 その結果、論議は40年間続き、遺族らは「恨」を抱いた。 不実、非道徳、不透明な交渉という指摘が出てくる理由だ。

  文書を見ると、1964年6月3日ソウルに約1万人の学生・市民が集まり、「屈辱的な韓日会談に反対」を叫びながらデモを行った理由にうなずける。 「拙速交渉」「もの乞い外交」という指摘を受けても、政府は話す言葉がないようだ。 政界と学界、関連団体も驚き、憤怒している。 161件の関連文書のうち、5件の文書が公開されただけで状況はこうだ。

  しかし当時のわれわれの立場にも目を向けなければならない。 60年代初めの韓国の1人当たり国民所得(GNP)は世界100位水準だった。 62年の1人当たりGNPは87ドル、63年100ドル、64年103ドル、65年105ドル…。 国民総生産は62年が23億ドル、65年が30億ドル水準だ。 当時の経済成長率に関する資料は韓国銀行にもない。

  若い男女らがドイツの炭鉱鉱夫、看護婦へ向かい、彼らを慰労しに行った大統領が涙を流した貧しい時代だった。 こうした状態で、二度と触れることができないお金を得ればどうするべきか。 たとえ被害者の涙が込められたお金とはいえ、国家の発展と子孫の未来のために経済建設という戦略的選択をするべき状況ではなかったか。

  交渉の末に得た8億ドルは、40年後の2004年、韓国の1人当たりGNP1万1400ドル(世界銀行)の礎石となった。 今日、われわれが国交正常化交渉と資金処理過程を一言で罵倒できない理由である。

  考えてみよう。 もし北朝鮮と日本の間に国交が結ばれ、請求権資金として数億ドルを受け、すべて被害者の補償に使ったとすれば、どうなるだろうか。 北朝鮮の経済発展は考えられない。 北朝鮮はどんな選択をするべきなのか。 難しい決断である。
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