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【噴水台】国語と韓国語

2005.01.04 20:18
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小寒の寒さが厳しい。 「大寒さんが小寒さんの家に行って、こごえ死ぬ」という昔の話が再び実感できる。 大寒さんは誰で、また小寒さんは誰だろう。 漢字を知らなければ、理解しがたい言葉だ。 大寒、つまり最も厳しいはずの寒さのときより、小寒、小さな寒さとされる節気が最も寒い、という祖先の知恵がにじんでいる。 漢字語を借りず、固有の言葉だけでは不便で、不足なのが韓国語の運命だ。

もちろん、行きすぎた場合も多い。 英韓辞書が、その代表的な例だ。 相応する固有の言葉があるにもかかわらず、敢えて難しい漢字を使う。「ナム」と移せば済む「other」を「他人(タイン)」とし、「ビョルトン」というきれいな言葉の代わりに「流星(ユソン)」という難しい言葉を固守する。 日本の辞書の影響で、和風の漢字語が韓国のものであるかのように使われてきた、というのが大方の専門家の見方だ。 1910年の韓日併合以降、植民地になった朝鮮(チョソン、1392~1910)の言葉と文が行き抜いたトンネルは、こうして抜け出しがたいほど厳しく、深く、大きかった。 ややもすれば失うところだった韓国語を守り、育てた、ウェソル・崔鉉培(チェ・ヒョンベ)先生の『ウリマルボン(韓国語本)』に日本製漢字語が出てこざるを得ないのが、ここ100年にわたる韓国人の言語慣習の現実である。

 
去年の暮れ、国会本会議で可決された「国語基本法」は、韓国語歴史に残るべき大きな一歩だ。「大韓民国の公用文書はハングルで書く。 ただし、しばらくの間、必要とされる場合は漢字を併用できる」という、1条だけの「ハングル全用(正しい使用)に関する法律」が制定された1948年以来、初めて韓国語の保全と発展に向けた骨格が作られた。 だが「韓国語が民族最高の文化遺産であり文化創造の原動力」であることを基本理念にした「国語基本法」は、文化の自主性が大勢である時代の流れに逆らっているような印象を与える。 ▽5年ごとに国語発展基本計画を打ち立てて、施行し▽国民の国語能力への検定を行い▽専門用語の標準化を行う--など、外へ向かって開く形ではなく、うちの方から閉じてしまう形だ。 漢字関連の条項を含ませるべき、だという元老国語学者の建議は受け入れなかった。 「排他的民族主義」の影が濃い「国語(National Language)」より、客観的な表現である「韓国語」に変えよう、との意見も無視された。

表面的には、ハングル学会と漢字教育国民運動連合が競合しているように見えたりもするが、なかみを見てみると、そのように単純なものではなさそうだ。 ハングル全用派と漢文混用派の戦いの歴史はながい。 国家主義と批判されている「国語純化運動」の亡霊がうろついているような気もする。 生命体のように動く言葉と文を、法と力でもって規制できない、との事実を人類史は見せてくれたはずだ。

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