開城と言えばいつも善竹橋(ソンジュクギョ)が思い浮かぶ。 忠臣・鄭夢周(チョン・モンジュ)の散り乱れた鮮血、「この体が死んではまた死に、百回死んでも…」という丹心歌も同時に。 高麗(コリョ)王朝500年の都の地は、それほど切ない歴史の片鱗を残したまま忘れられてきた。 物理的に軍事分界線に遮られ、歴史的には朝鮮王朝の陰に隠れ、何かの伝説のようにかすんでいる。
918年に高麗太祖の王建(ワン・コン)が韓半島最初の統一国家を創建した当時、名前は松岳(ソンアック)だった。 風水地理上の主山が松岳山だからだ。 山の名前の由来は王建の誕生神話である。 元来は扶蘇(ブソ)山だった。 新羅(シルラ)の風水家、八元(パルウォン)が王建の4代祖・康忠(カンチュン)を訪ね、「山に松を植え、岩肌が見えないようにすれば、三韓を統一する人物が生まれるだろう」と予言した。 こうして松を植えて岩を覆うと、松岳となり、王建が生まれた。