<趙英男の日本文化ルポ>5.「隣の国、日本」の扉は開かれていた

<趙英男の日本文化ルポ>5.「隣の国、日本」の扉は開かれていた

2004年11月25日16時24分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  来年の韓日国交正常化40周年を控えた時点に、どの国の扉が固く閉められていて、どの国の扉が大きく開けられているのかについて考えてみるのは、やや「時遅し」の感じもなくない。日本に滞在する間、私は朝日新聞・政治部記者のインタビューに応じた。私が先に「歌手生活35年の間で、外信の政治部記者に会ったのは今回が初めて」だと話すと、記者は興味深い質問を投げてきた。

  「韓国政府の過去史清算作業は、日本まで少ながらず緊張させている。あなた見方は?」。私は一気に自分の意見を語った。「それが国論ならば賛成、単に一党レベルのものならば不賛成だ」と。つまり、現在の南北(韓国・北朝鮮)が分断した状況で、一方だけによる過去史清算は、なぜか不完全なものに思える、と話したのだ。質問は続いた。「なぜ、ある日突然自ら親日派になったのか」。

  その記者は、サッカーの2002年・ワールドカップ大会当時、中央(チュンアン)日報に寄稿した私のコラムを読んだもようだった。返事できないわけもない。「私は解放(独立、1945年)以降に生まれ、反北(北朝鮮)、反共(中国)、反ソ(旧ソ連)、反日(日本)に一貫してきた。それは、宿命だった。雰囲気が、そんなものだった。少し成長した後は、通念とはやや異なる考え方をしはじめた」。それが私の返事だった。

  実際、李御寧(イ・オリョン)氏の『「縮み」志向の日本人』、田麗玉 (チョン・ヨオック)氏の『日本はない』』(日本では『悲しい日本人』)という単行本は、こうした反日感情を再確認してくれた。また、日本をいっそのこと無視してしまえる根拠に位置付けられた。2冊の本は、韓国人が日本を理解する大衆的なコードなのだ。その後、私は2002年に取材のため東京へ渡り、森ビルで外を眺めながら「日本もなかなかやるな」と、東京~大阪の新幹線に乗って窓の外を眺めながら「いや、日本はすごいな」と感嘆しなければならなかった。

  全氏の著書の書名だけを盲信していた手落ちを怨まなければならなかった。独自の日本論を盛り込んだ『「縮み」指向の日本人』も、やはりワナに考えられた。「日本=縮み指向の国」との分析には、反対給付も大きかった。たとえば、同氏は、韓国と日本の「ご飯の文化」を比較する際、韓国は器にご飯を盛った後テーブルに置いたまま食べるけど、日本は器を手で持ったまま食べるから「縮み指向」だ、とした。弁当文化やトランジスター文化も、縮み指向の結晶だと釘をさした。そこまでだ。

  しかし、私の考え方にすれば、李氏は、弁当とトランジスターが場所に制限されず食べられる、という明白な「拡大指向」の現象を見過ごした。すべてのものには、両側面があるのに。すなわち、いくら弱いピアノの音にも、フォルテ(f)とピアノ(p)がミックスされているのと同様だ。私がこうした問題を提起する理由は、2冊の本が、少なくとも私のような人間にとっては、日本のことを非常にわい小に認識させた本だからだ。

  だが、考えてみよう。日本があろうがなかろうが、縮み指向であれ拡大指向であれ、また一人の歌手にすぎない私が靖国神社を訪ねて大声で怒鳴ろうが、今回のルポを関心を持って読んでくださった私の周辺の反応は、寛大で落ち着いた感じのものだった。興味深い提案、だという評価も結構あった。いつの間にか、韓国も大きくなったということだ。そのおかげで、私は生き残れた。

  「万が一、このルポが問題になったら、日本に政治的に亡命せざるを得ない」と、大げさに弱音を吐いたりしたが、そんな必要などなくなったから、幸いだ。さて、結論付けてみよう。李氏は、日本の門が閉ざされていると、全氏は門を開ける必要さえない、とそれぞれ助言したが、私が見た日本の門は、早くから開けられてあった。問題は、韓国側の門だ。こうした聞き方をしたい。「ひょっとすると韓国は、日本の開けられた門に背を向けたまま、韓国の門ばかり固く閉めてきたのではないだろうか」。

  大勢によって映画の門だけを少し開けておき、見守ってばかりいた。ところが、どういう訳だろうか。日本の映画は、韓国の地で全然アピールしていない。残されたものは、日本の歌謡とレコードの門だ。韓国歌手の私は、楽観する。日本の音楽は、かつて米音楽が占めていたくらいの持分を、決して乗り越えることができないだろう。それは、他の芸術分野でも同じではないだろうか。

  それらは、ナム・ジュン・パイク(白南準、ビデオアーティスト)のような「特級製品」を作り出せなかったからだ。何故、そうだろうか。芸術においては「毒」になり得る、日本人の先天的な真面目さ・貞潔さのためだ。また、韓国人の生まれつきの自由奔放さ、そしてエネルギーのためだろう。本当に世の中は良くなた。私のような「自称親日派」に、以前のように反逆容疑がもたれない、との点だけを考えてみても、やはり21世紀は違う。

  むしろ、一部寛大な方々が、私のような歌手を「韓日親善使節」扱いするのが、涙が出るほどありがたく、幸いに思える。この際、張り切ってもう一言申し上げるならば、あの「北東アジアのハブ」云々をしたいならば、先に韓国人の心からオープンしておこう、と提案したい。もちろん、韓国人の「自信」に基づいて、ということだ。
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