<趙英男の日本文化ルポ>4.靖国神社

<趙英男の日本文化ルポ>4.靖国神社

2004年11月15日15時47分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  今年9月、日本国際交流基金の招待を受け入れた直後、質疑書が届いた。日本のどこを訪問したいのか、ということだった。2つを思い浮かべた。ノーベル文学賞受賞の作家、川端康成の小説『雪国』の町と靖国神社がそれだ。時季はずれの小説の現場は、すぐにあきらめ、結局、靖国を訪ねるのが私の主要日程になった。

  なぜ、わざわざ靖国を選んだのだろうか。 そこは、隣国のけん制にもかかわらず、日本首相が参拝を強行する、けしからん空間ではないか。そうすると、日本は、また「個人の資格」を云々、慌てて言い訳をし、韓国と中国はさらに激怒した。そうした騒ぎが、すでに数十年間にわたる。「いったい何故?」という素朴な疑問から靖国神社を訪ねたのは、過ぎた世紀に、大東亜共栄圏の悪夢のため韓日中3国を苦しめた「地雷畑」の実体を自分の目で見てみよう、との決意からだった。

  靖国を訪れたのは、初秋の9月。私は一つの提案をした。案内のため来てくれた日本国際交流基金の幹部に、一緒に車に乗り、まず首相官邸前へ行ってほしい、と頼んだ。首相がどんな道を通って靖国へ向かうのか、いったいどんな神社で、どのような参拝が行なわれるのか、を見せてほしいということだった。確認してみると、官邸から神社までは10分の距離。いざ訪ねてみると、靖国は、明治時代に戦争勇士を慰霊するため設けられた。

  太平洋戦争に負けた後、有罪判決を言い渡された東条英機などといった戦犯まで受け入れたため、戦犯の墓地に刻印された。その靖国の入り口には、すべての神社がそうであるように「井」の形をした巨大な鳥居が目立つ。仏教の「卍」、キリスト教の「十」などといった宗教の独創的なロゴのようなものなのだろうか。巨大な鳥居を通過すると、広々とした石の広場の末端にある靖国は、陰湿な黒い色の古い木造建物だ。

  通常、参拝者は敬けんな表情でお金をさい銭箱に入れ、かしわ手を打った後、合掌組みとともに黙念するのが儀式の全部だ。おそらく日本の政治家も、そのようにするのだろう。考えてみれば不思議だ。日本人が、過ちだらけの先祖(戦犯)を守っているのを見ていると、せい絶ささえ感じられる。

  ともかく、地雷畑の靖国を、現場で見てみると、あっけないというか、大したことない、という気がした。そうした所感は、私が不幸だった北東アジアの近代史・現代史に無神経だからだろうか。その一方で、神社を出るときには、複雑な気持ちになった。それらが、私に問い返すような気もする。

  「日本は豊臣秀吉を拝んでいる。韓国は李舜臣(イ・スンシン、朝鮮中期の武将)を拝んでいるじゃないか。日本は、伊藤博文や東条英機のため法事を行なう。韓国が安重根(アン・ジュングン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)のため法事を行なっても、日本は気にしない」この場合、私のほうでは、即座に答弁できない。死んだ両国の霊魂をめぐる子孫の神経戦は、歴史の重さでわれわれを押さえ付ける。

  どうであれ、日本は、靖国神社参拝を、天皇制とともに「混合宗教」に発展させておいた。それは、21世紀の普遍的な考え方からすると、確かにおかしい。しかし、誰もその前でげらげらと笑うことはできない。日本には、現実的な力があるからだ。それが問題である。力がないとの理由から、およそ50年の時間が流れたとの理由から、それらが行った深刻な「過去史の反則」の前で、韓国人はうっとうしくなる。

  どもかく、韓日国交正常化40周年を控えた「日本探訪」で、私自身は安定を取り戻せた。次のような話である。日本人は、韓国人のように率直でさっぱりした話し方をしない。BoAや『冬のソナタ』などを受け入れる韓流について「われわれが間違っていました。お赦しください」という日本式の表現なのだ、と裏返しで受けとめたら、いかがだろうか。待望の2000年代、靖国が足かせになってはならないだろう。
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