伊藤博文が統監としてこの国に君臨した大韓帝国末のこと。 皇帝の座から降ろされた高宗(コジョン)が、昌徳宮(チャンドクグン)の博物館を訪れた。 そして高麗(コリョ)青磁を見て「これはどこで作られたのか」と尋ねた。 伊藤統監は「この国の高麗時代のものです」と答えた。 すると高宗は「こんなのはこの国にはない」と話した。 伊藤は何も語ることはできなかった。
朝鮮(チョソン)の皇帝が高麗青磁を知らないのは当然だった。 青磁は、500年前、高麗の貴族文化とともに墓の中に消えてしまったためだ。 儒教的観念から、他人の墓を暴く行為、すなわち「掘塚」は、天人共怒せる反人倫的犯罪だった。 そのため、青磁は完壁に所蔵されたままになっていた。 地下の所蔵庫が暴かれ始めたのは、日本が日露戦争で勝利した1905年以降のことだ。 掘り屋(盗掘専門家)が、高麗の首都だった開城(ケソン)と、蒙古侵入時に臨時首都になった江華島(カンファド)に押し寄せた。