【噴水台】核のロマン主義

【噴水台】核のロマン主義

2004年09月06日20時47分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領は1975年6月、米紙ワシントンポストとの会見で「米国が核の傘で韓国を守るとの保障がなければ、核兵器などを開発する考え」だと述べた。 当時、青瓦台(チョンワデ、大統領府)は、在米韓国人科学者を密かに呼んで、作業に乗り出した状況で、米国はそのため非常に緊張していた。

  そうした状況の77年6月。 世界的な理論物理学者の在米韓国人科学者、李輝昭(イ・フィソ)氏が米国で交通事故で、42歳に死亡した。 京畿(キョンギ)高校2年のとき、ソウル工大に合格した後、渡米し、物理学を専攻、28歳のとき、ペンシルベニア大の正教授に採用された秀才だった。 即時に「韓国の核開発を阻止しようとする米特殊機関の仕業」とのうわさが広がった。 それ以降、李輝昭氏は、韓国の挫折した核開発の象徴となった。 「李輝昭さえ生存していたら...」その悔しさは、93年、金辰明(キム・ジンミョン)が発表した長編小説『ムクゲの花が咲きました』で爆発した。 小説で「イ・ヨンフ」との名前で生き返った同氏は、死んだ人ながら、南北(韓国・北朝鮮)共同核兵器開発の基礎を提供する。 米日合弁の韓国侵攻に対抗し、共同核弾頭は威力を遺憾なく発揮する。 「米日の韓国攻撃」という刺激的なテーマと「南北共同の核兵器開発」という感性が結合した小説だ。 その感性は「北朝鮮の核兵器も結局韓国の核兵器」という「核のロマン主義」に変わり、依然として現在進行形だ。

  ところが、韓国は、核兵器の開発によるリスクに耐えられるだろうか。 核開発の過程で受けた侮辱について、中央(チュンアン)日報が出版した『青瓦台秘書室』の第2編は、関係者の話を次のように伝えている。

  「76年に科学技術処長官室で開かれた韓米原子力関連協議会に国務省次官補が出席した。 同氏は、下品な言葉で『再処理の再の字にも触れるな』と話した。 それが、韓国の位相だった」、 「70年代中、韓国の米大使館・科学担当官は、韓国科学技術研究院(KIST)に一方的にやってきて、随時調べていた」。当時は力がなく、米国にやられたが、いまは少し強くなったから、状況が違う、とも言えない。 現在は、国際原子力機関(IAEA)に一々報告し、同機関が漏れなく調べている。 問題点が捕捉され、国連安保理に付託されることにでもなったら、制裁が待っている。 そうすれば、国家の信用度が墜落し、対外的依存度の高い韓国は、即時、さ迷うようになる。 石油強国のリビアも核を放棄したくらいだ。

  最近、原子力研究所がウラン0.2グラムを抽出したことについて「いよいよ核兵器の製造技術が確保できた」という喜びの見方がある。 韓国としては嬉しいニュースだが、世界が疑惑の視線を送っているというのが問題だ。 ロマンは現実ではないように「核のロマン主義」も、現実では力にならないとのところに悲劇がある。
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