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辛基南議長の父親、日本軍憲兵の伍長だった

2004.08.16 19:54
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17日に発売される時事月刊誌「新東亜(シンドンア)」の9月号が報じたところによると、与党「開かれたウリ党」(ウリ党=「わが党」との意)の辛基南(シン・キナム)議長の父親、辛相黙(シン・サンムック、1916~84)氏は、日本植民支配時代に日本軍憲兵の伍長(下士官)だった。

新東亜は▽辛相黙氏の名前が入っている日本軍志願兵の合格者リスト▽創氏改名の記録がある当時の辛氏の戸籍資料などを公開した。次は、新東亜の報道内容をまとめたもの。

 
辛相黙氏は、1938年3月に大邱(テグ)師範学校を卒業した後、全羅南道和順郡(チョンラナムド・ファスングン)の清風(チョンプン)小学校で教師として勤めていた1940年7月25日、日本軍に志願、朝鮮(チョソン)総督府・国軍兵志願者訓練所に入隊した。「重光国雄」に創氏改名した辛氏は、訓練所を修了した直後の同年11月8日、半島(バンド)ホテルで日本軍志願兵の修了生として、朝鮮総督府機関紙「毎日新報」の座談会に出席した。

毎日新報は、この座談会の内容を、同年11月30日から、8回にわたって連載した。同報の報道によると、辛氏は、座談会で「私は必ず成功できる、という自信を持つようになった。絶対服従の精神を修養できた(原文)」と、入隊の所感を述べた。辛氏と大邱師範学校の第5期同期生であるソン・ジェチョン氏は「43年6月、忠清北道沃天(チュンチョンブクド・オクチョン)のジュクヒャン小学校で教師として勤めていた当時、日本軍憲兵伍長の制服を着た辛氏が、馬に乗って訪れ『日本軍の憲兵になった。日本軍の徴兵を忌避している人々を探しているが、情報があったら教えてほしい』と言われ『知らない』と答えた」と伝えた。

最近、父親の前歴と関連した疑惑がインターネットなどで広がると、辛議長は「父親は独立後まで教師として活動し、46年、警察になった」と釈明していた。辛議長は「(疑惑の提起は)『ウリ党』が進めている親日反民族行為真相究明特別法改正案の純粋な意図を傷づけるための不純な意図」だと反論し、関連法案の改正案を主導してきた。

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