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<生と文化>私が親日派になった理由

2003.06.30 16:24
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最小限の礼儀と礼遇について話したい。私にとって、日本は長い間、不愉快な国だった。そうした私の考えを変えたのは、昨年のワールドカップ大会(W杯)だった。02年6月、私は突然「知日派」になり、翌年の03年6月、私はさらに進んで「親日派」になった。私たちの情緒から考えて、親日派はすなわち民族への反逆を意味するが、そう言われても構わない。世の中がたくさん変わったからだ。

私は幼いごろから、学校と教会でおかしな教育を受けてきた。学校では、日本、北朝鮮、中国が無条件悪い仇の国であり、だから打ち破るべき国と教われ、教会ではとなりを愛すように、仇を愛すようにと教われたため、幼い子どもでありながらも、大変頭を悩まされたことである。そんな私が、知日派に転じるまでは、こうした来歴があった。

 
昨年6月、W杯が真最中のとき、テレビ番組のため東京に滞在することになった。そのため、私は、我が太極(テグック、注:韓国の国旗のシンボル)戦士のベスト8入り戦と4強入りの試合を、日本でテレビを通じて観戦した。新宿のある韓国食堂で、8強戦を見るときのことだった。そこで、私は驚くべき光景を目撃した。

韓国人の間に混ざって、いくつかのグループに分かれ観戦していた日本人らが、一方的に韓国チームを応援しているのだった。人々が大声で騒いでいるのを見れば、どこの国の人かがすぐ分かる。日本を、仇の国としてばかり思っていた私は、みみっちいと思いながらも尋ねてみた。

あなたたちは、ベスト8入りを実現できなかったのに、韓国がベスト8入りを果たしたのが悔しくもないのか、どうして韓国を応援しているのかと。それらは、躊躇なく答えた。自国の代わりに、韓国がアジアを代表して戦っているから、応援すべきだというのだ。

ベスト4入りのときは、日本の韓国大使館前の庭に設けられた大型テレビを見ながら応援したが、そこでも同じだった。多くの日本人らが韓国人らと一緒になって、大韓民国を応援していた。私としては、到底納得できない光景だった。

考えてみてほしい。立場を取りかえて、韓国がベスト8入りを果たせず、日本が実現した場合、いったい何人の韓国人が日本の食堂や韓国の日本大使館前の庭に集まり「日本が勝つように」と叫んでくれるだろうか。韓国人を自らを卑下しようとしているわけではない。私だったら、おそらく日本を応援するところか、それらもベスト8に進めなくなることを、それとなく期待していたかもしれない。

私は、自分の目で日本の雅量を見ながら、われ知らず知日派の一員になり、正確に1年後、再び6月になって、知日派より一歩進んで、強力な親日派として立場を固めるようになる。

そこにも、もちろん理由がある。韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が訪日の途につき、日本議会で演説を行う姿をテレビ中継で見ていた時だった。

私は、とても気になり、非常に緊張していた。なぜ日本は、よりによって韓国の顕忠日(ヒョンチュンイル、戦没者や殉国者などを哀悼する日)に、韓国大統領を招待したのだろうか。どういう意図から、自衛法を可決、成立させる時点に韓国大統領を招待したのだろうか。そうしたごう慢な人たちが、韓国大統領の演説に真剣に耳を傾けてくれるだろうか。きちんと拍手してくれるだろうか。

しかし、それは杞憂にすぎなかった。非の打ちところがなく、それらは、韓国大統領をきちんと礼遇し、驚くべきことに演説の途中にも時々拍手でこたえてくれた。私が拍手に敏感な理由は、多年にわたる歌手生活のため、拍手の真なる意味を十分体得しているからだ。

翌朝の新聞には、演説の途中、計18回の拍手が出たと報じられた。そんな韓国の新しい大統領が、韓国国会で初の演説を行うとき、何回の拍手があったのか。 惨めなことに、ただ1回の拍手もなかった。ひとりの大統領が、自国と他国の国会でこれほど相反する待遇を受けるとは。私は日本人達のオープンした態度に感動せざるを得なかった。

最大限、礼儀を守りながら話したい。私のこうした親日派的な行為を、当分誰も止められないだろう。

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