【噴水台】高麗人の韓マルクス

【噴水台】高麗人の韓マルクス

2003年01月19日22時08分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  先月31日、モスクワである高麗人(コリョイン、ロシア社会に暮らす韓国人)の指導者が、静かに息をひきとった。彼の名前は韓(ハン)マルクス(76)。

  一般人にはあまり知られていないが、彼は、冷戦と韓国戦争(1950~1952)、韓国の北方政策、ソ連の解体による冷戦消滅を体験しつつ、特別な生の軌跡を描いてきた在外同胞学者だ。

  平凡な生活を送っていた彼の人生が、韓半島の現代史との関わりにより動き始めたのは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に金日成(キム・イルソン)政権が樹立されてからだった。

  当時ソ連は、金日成にロシア語とマルクス理論、党の綱領などを熟知させるため、一団の専門家集団を派遣したが、その際、韓教授も平壌(ピョンヤン)に赴いた。

  数年の平壌生活の後モスクワに帰った韓教授は、その後「モスクワ共産青年大学」の教授として、マルクス理論などを講義した。

  そんな彼の生活が根本的に変化し始めたのは、88年のソウル五輪と、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の北方政策推進以後。

  五輪当時、ソウルの発展の姿に驚いた彼は、北方政策の影響からモスクワに現れた韓国人との日常的な接触を通じ、韓国のモスクワ進出に多大な協力を惜しまなかった。

  韓国のモスクワ進出は、高麗人社会に分裂の痛みをも与えた。草創期には、南北(韓国・北朝鮮)大使を合同招請するなどして統合に努めた高麗人社会だったが、時間が流れるにつれ、親韓国派や親北朝鮮派、中立派などに分かれ、彼らの内部でも様々な派閥が誕生したのだ。

  当時の高麗人元老グループは「韓半島の分裂だけでも悲痛であるのに、ここで同胞が分かれていてはいけない」とし、その傷を塞ぐ努力を傾けたが、これといった効力を発揮することはなかった。

  その後、双方に働きかけて分派をまとめ得る力を持つ元老が、1人、また1人と病に倒れ、高麗人社会の分裂は、さらに大きくなっていた。

  韓教授は親韓国派であり、民主平和統一諮問委員などを務めたが、かといって北朝鮮に反対する側に立つことはなかった。彼は「韓民族の相互支援運動」モスクワ共同議長などを務め、高麗人や北朝鮮同胞の支援運動を展開し、分裂した高麗人団体のどちらにも加入しなかった。

  限りある運命の人として、彼の冥土に祈りを捧げたい。だが、高麗人社会の巨星「ゲオルグ金」博士に始まる高麗人元老世代の死に代わるだけの尊敬を集める後継者がいまだ見られない現実は、彼らを送る哀しみより切ない。
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