朝鮮(1392~1910)時代第14代王・宣祖(ソンジョ、1552~1608、在位1567~1608)の孫が、文禄の役(1592~1598)のあった1593年、日本に人質として連れて行かれたが、著名な僧侶になった後、故国への思いで苦しみ、死を迎えたという見方が発表された。
宣祖の長男である臨海君(イムヘグン、1574~1609)の息子、太雄(テウン、1589~1665)がその主人公だ。日蓮宗と呼ばれる日本の法華宗の代表的な高僧に挙げられる日延(イルヨン)僧侶がこの太雄なのだという。
円光(ウォングァン)大学韓国文化学科の梁銀容(ヤン・ウンヨン)教授はこのように、朝鮮の歴史ではまだ記録史料が発見されていない主張を述べ、学界などでは議論が広がる見方もある。