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【社説】京平サッカー復活に期待する

2002.06.06 21:52
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朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のサッカー代表が9月6日ソウルを訪問し、8日上岩洞(サンアムドン)ワールドカップ(W杯)スタジアムで韓国代表と一戦を交えることに合意したことを受け、「京平(キョンピョン=ソウルと平壌)サッカー大会」復活の糸口がつくられることになった。

韓半島に熱いW杯ブームが巻き起こっているなか伝えられたこの朗報が、必ずや成功を収め、民族の和合と理解を深める媒介になることを期待したい。

 
最近のW杯ブームは、我が民族の可能性と底力を世界に示し、和合と希望を確認する場となっている。韓国発の歓声が、世界を熱くしている。W杯に対する関心は、北朝鮮も同じだろう。W杯南北単一チームの構成には失敗したが、南北が試合開催に合意したことで、その惜しみを多少減らすことができた。

植民地時代の1929年からソウルと平壌(ピョンヤン)間で行われていた京平サッカーは、我々のサッカーの根源であり、青年たちに民族の精気を伝え、民衆を団結させる場でもあった。

単なるスポーツ行事という次元を超え、民族の同質性を確認する機会だったわけだ。当時試合が行われると、街中が静まり返り、競技場周辺は人力車で渋滞になったという話からも、その人気をうかがい知ることができる。

光復(解放)後の1946年3月、ソウル運動場での大会を最後に中断していた京平サッカーは、1990年「統一サッカー大会」として一時復活したが、ソウルと平壌で1回ずつ試合をしたのを最後に中断している。

南北首脳会談後の2000年9月、済州道(チェジュド)で行われた「第3回閣僚級会談」で、京平サッカーの復活に合意したが、その後、南北関係がこう着状態に陥いり、進展はなかった。

京平サッカーは単なる体育行事以上の意味をもつ。観客席とグラウンドで体をぶつけ合い、南北が一つの血筋であることを確認する機会になるためだ。

今回の合意を機に、同大会を定例化する問題と、北朝鮮の釜山(プサン)アジア競技大会の参加など、他スポーツ交流の糸口もつかめるよう、議論が本格化することを期待したい。

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