【噴水台】通貨主権=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.04.02 15:45
彼はその後の「失われた20年」を想像もできなかっただろう。1985年9月22日、ニューヨーク・マンハッタンのプラザホテルの竹下登大蔵大臣。彼の表情は明るかった。米・英・独・仏など他のG5財務相と和気あいあいとした雰囲気で談笑し、20分後に2行の声明に署名した。「主要通貨はドルに対して秩序ある上昇が望ましく、為替相場は対外不均衡調整のための役割を果たす必要がある」。
しかし日本の余裕は少しの間だった。当初15-20%と予想していた日本円の値上がり幅はこれをはるかに超えた。会談直後1ドル=240円台だった円・ドル為替レートは87年末には1ドル=120円台まで上がった。円高が進んで不動産と株価が急騰し、内需が膨張するなど、バブル経済が春の桜の花のように咲いた。しかし90年代に入ってバブルは消え、長い沈滞のトンネルが始まった。