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ハワイ老人ホームでさびしい最後を迎えた朝鮮時代最後の皇太孫妃(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.12.06 13:11
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離婚後、待ちに待った李玖氏との再会は実現しなかった。葬儀行事に招待されることができなかったジュリア夫人は遠くから運柩行列を見守った。葬式が終わった後、一人で李玖氏の墓の前でお辞儀をしたという。(写真=中央フォト)
いかなる援助もなく働いていたジュリア夫人は結局、95年にハワイに新しい定着地を用意して韓国を離れた。子供がいなかったジュリア夫人が楽善斎時代に養子縁組したイ・ウンスク(米国名、ジナ・リー)氏がそばを守った。再婚せず渡日した後、連絡のない前夫・李玖氏を懐かしんでいたとのことがイ教授の伝言だ。

2000年9月、一時帰国したジュリア夫人は1カ月間留まりながら思い出の場所を見回した。舅だった英親王の墓地を参拝し、一時奥方として生活していた楽善斎に立ち寄って障害者の弟子に会った。李玖氏に直接伝えたい朝鮮王家の遺物と韓国近代史関連写真450点を徳寿宮(トクスグン)博物館に寄贈したが、この時の姿を映したドキュメンタリーが『ジュリアの最後の手紙』というタイトルで放映されたこともある。

 
そのように会いたがっていた前夫との再会はついに実現しなかった。2005年7月16日、東京の旧赤坂プリンスホテル(李玖氏が生まれたところでもある)から遺体で発見された李玖氏は20日、韓国に送られ葬儀を行ったが、ジュリア夫人は招待されることのできないお客さんだった。楽善斎と宗廟を経て埋葬地に離れる葬儀行列を少し離れた場所から見守るほかはなかった。

昨年10月、ハワイの老人ホームを訪れてジュリア夫人と別れの挨拶を交わしたイ教授は「私を見て最初はぼうぜんとして『これは奇跡だわ』とつぶやき、限りなく涙を流していた姿が今でも目に浮かぶ」と話した。一人の男性を愛したからこそ悲運の皇族が無視される遠い異国の地にも運命のようについてきたジュリア夫人の人生が終わった。約100年前に消えた大韓帝国のかすかな影が一瞬映る。

◇李玖(イ・グ、1931~2005)=大韓帝国の最後の皇太孫。大韓帝国皇室第3代首長である英親王・李垠と日本人の李方子夫人の息子だ。米MIT工科大学に留学した建築家であり教育者で、ソウル大学と延世(ヨンセ)大学で建築設計を講義し、建築設計会社「トランスアジア」を運営した。全州李氏大同宗約院総裁、宗廟祭礼奉行委員会総裁として活動した。


ハワイ老人ホームでさびしい最後を迎えた朝鮮時代最後の皇太孫妃(1)

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