続く低成長率…「未来の産業の種をまくべき」=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.09.28 13:02
1997年12月3日。当時の林昌烈(イム・チャンヨル)副首相兼財政経済院長官はソウル世宗路(セジョンノ)政府総合庁舎で、ミシェル・カムドシュ国際通貨基金(IMF)総裁の隣に座って沈痛な表情で救済金融案に署名した。韓国社会全体に拭えないトラウマを抱かせた瞬間だ。
一方では高金利などの過酷な構造改革プログラムを稼働した。カンドシュ総裁はこれを「偽装された祝福」と表現した。高度成長で隠れた経済的「積弊」が通貨危機という外部の刺激で表れた。
金大中(キム・デジュン)政権の最初の財政経済部長官、李揆成(イ・ギュソン)氏は『コリアンミラクル4:通貨危機の波を越えて』という著書で、韓国が通貨危機を迎えた理由を▼韓国経済と企業の構造的脆弱性▼準備ができていない状況での対外開放拡大▼海外から過度な短期資金借入▼当時の国際金融体制の不安定性--の4つを挙げた。