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【コラム】韓日中が詩人・尹東柱を記憶する方法(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.20 10:22
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尹東柱(ユン・ドンジュ)は偉大な魅力だ。その魅力は北東アジア3国で発散されている。尹東柱は豆満江(トゥマンガン)を渡り、満州(中国東三省)で生まれた。尹東柱は故郷と平壌(ピョンヤン)の崇実中学校、ソウルの延禧(ヨニ)専門学校(現・延世大学)で勉学に勤しんだ。日本にも留学した。そして福岡刑務所で亡くなった。韓日中で彼の詩を記憶し、称えている。その見解と方法は似て非なるものだ。

尹東柱の故郷の古家は文化財に指定されている。位置は中国朝鮮族自治州の龍井市明東村だ。韓国人観光客は広開土大王碑・白頭山(ペクドゥサン)を行き来する途中でここに立ち寄る。彼らは民族主義、統一の感情で充満している。だが、ここに来ると慌て、狼狽を隠せなくなる。家の前に置かれた大きな標示石のせいだ。ハングルと中国語とこのように書かれている。「中国朝鮮族の愛国詩人・尹東柱の生家、中国朝鮮族愛国詩人尹東柱故居」と。尹東柱の序詩(『空と風と星と詩』から)が石に刻まれている。だが、その視覚的衝撃は巡礼の興味を乱れさせる。

 
2012年龍井市はその家をきれいに整えた。朝鮮族同胞も誠意を加えた。だが、詩人のアイデンティティはこんがらがっている。尹東柱は少数民族出身の中国人になってしまった。尹東柱はハングルで文章を書いた。その時代をあえて突き詰めて考えれば、北間島(ブッカンド)は満州国だ。満州国は帝国日本の衛星国だった。この付近に尹東柱の墓がある。発見者は日本人の大村益夫早稲田大名誉教授だ。大村は韓国文学の専攻者だ。1985年、大村は延辺(ヨンビョン)大学で交換教授をした。同年5月、雑草と土砂に覆われた山の斜面を歩いた。墓と碑石を捜し出した。

大村の成就は続いた。86年、尹東柱の肉筆遺稿に接した。韓国と日本の「尹東柱専門家」としては初めてだ。遺族が大村の執念を認めたからだ。大村の著書にはこのように記されている。「その原稿を手にした時、手が震えるほどの感動を覚えた。尹東柱の親友、鄭炳ウク(チョン・ビョンウク)一家がこっそりと隠し持っていた自選詩稿集、友人のカン・チョジュンが保管していた遺品と作品、妹夫婦が持っていた創作ノートだ」(『尹東柱と韓国近代文学』、韓国語)。大村の回顧は苦々しくわれわれに迫ってくる。「その10年後、肉筆原稿を見たいという韓国人が現れた。檀国(タングク)大学の王信英(ワン・シニョン)教授だ。遺族の言葉を借りれば…尹東柱が旺盛な議論の対象だったのに、不思議と1次資料を直接見せてほしいと求めたものはいなかったのだ」


【コラム】韓日中が詩人・尹東柱を記憶する方法(2)

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