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韓経:【コラム】大韓民国の警察が危険だ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.06.21 15:29
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先週、韓国経営者総協会(経総)会館に押しかけた全国民主労働組合総連盟(民主労総)の組合員が座り込みまでしたのは衝撃的な事件だ。組合員らは経総に向かって積弊だと叫び、「解体するべきだ」という要求書簡を持って行った。以前にはなかったことだ。文在寅(ムン・ジェイン)政権発足後の変化の一つが労働・社会団体の声が高まっている点だ。「法治の道についた赤信号」という指摘が出ている。

さらに驚かされたのは警察の態度だった。他人の家を奇襲しても、エレベーターに乗ろうとする外部の人とこれを防ぐ経総職員のもみ合いにも、警察はほとんど傍観する姿だった。問題の書簡が伝えられるまで1時間以上も座り込みを見守った。

 
◆労総の経総奇襲を傍観する警察

警察は自らどんな過ちを犯したのか分かっているのだろうか。それが分からなければ「乱入」と規定した経総の告訴も正しい司法的処理を期待しにくい。警察は傍観の理由について「大きな違法がないため…」と釈明したという。違法は違法であり、大きな違法や小さな違法を言うのはどういうことなのか。違法を大きさで判断するのが出動指揮官の裁量なのか。これが大きな違法でないという認識からして驚く。THAAD(高高度防衛ミサイル)基地の前で民間人の車両検問も放置した警察だ。これも「小さな違法」だから傍観したのか。

警察が「政治」をするのか。警察までが政治に乗り出せば法治も民主主義も台なしになる。ポリスラインの遵守が民主社会の出発点というのは市民の義務レベルだけでない。ポリスラインを踏みにじったり越えれば法執行者は断固対応しなければいけない。それが委任された公権力であり法治に進む最初の段階だ。法廷で処罰軽減も可能だが、司法府がすることだ。法自体に問題があるなら立法府が法を正すようにしなければいけない。

労総組合員が集団で押し寄せる状況で現場の警察が「政権の性向」を先に考え、労働界と青瓦台(チョンワデ、大統領府)の距離を測り、経総・労総・政権のパワー関係関数を計算するような低級な政治をしてはいけない。制服の権威と名誉どころか、服務規定も政治的中立義務もすべて破ることになる。署長級の指揮官が見え透いた政治をする警察なら、誰が検察の捜査指揮権と起訴権を分け与えろというだろうか。

デモ隊が行進ラインを抜け出したからといって83歳、22回当選の連邦議員に手錠かけた米国の警察を見るべきだ。韓国でいえば道路交通法違反ほどだ。こうした「小さな違法」に彼らは過剰対応をしたのか。

◆ポリスラインを「政治」で扱うべきでない

もう一つの制服、軍人も同じだ。たとえば連隊長、師団長ほどの指揮官は政治をする地位ではない。挑発があれば直ちに交戦遵守規則に基いて行動するのが職責・義務であり存在理由だ。「戦争が拡大することになれば…」「後遺症が大きいはずだが…」「米国との関係は…」。こうした判断は大統領と政務職の役割だ。前線の部隊長が政治で悩む国に安保はない。本当に政治をするのなら制服を脱いで選挙に出ればよい。政党に行こうと、国会を狙おうと、政治をする権利は十分に保障される。しかし制服を着ている限り規範と指示通りに従わなければいけない。実弾攻撃に対し、空に銃を撃って正面対抗したというような「政務的判断」では困る。

そうでなくとも政治があふれているのが問題だ。判事までが集団で声を高めるなど深刻な政治過剰社会になっている。政権が交代すれば特定人の死因が変わるのを見ると、医者も政治に巻き込まれたのではと感じる。恐ろしくも政治過剰病はさらに深刻になるようだ。そうであるほど法治の第一線に立つ警察は法と規定だけ見て進まなければいけない。「政治検察」という批判がなぜ出てきたのか。「政治警察」という言葉が出ないよう警察も注意しなければいけない。

ホ・ウォンスン/論説委員

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