「鴻祥グループ、張成沢処刑後さらに成長…北朝鮮の太い綱」(1)

「鴻祥グループ、張成沢処刑後さらに成長…北朝鮮の太い綱」(1)

2016年09月26日17時18分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
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丹東市の鴻祥実業グループ本社は24日午前、出入り口が堅く閉じられていた。2、鴻祥本社は丹東市の鴨緑江(アムノッカン)周辺にある新安東閣ツインビルの右側建物の16階にある。左側の建物には北朝鮮の銀行である朝鮮光宣銀行代表部が今春まで入居していた。
  中国遼寧省丹東は北朝鮮の経済の命綱のようなところだ。鴨緑江(アムノッカン)にかかった単線橋の朝中友誼橋を通って食糧を含めた生活必需品・日用品や建設資材・機械・部品などあらゆる物が北朝鮮に入っていく。その隙間に混じって北朝鮮の核開発にとって必須の物資が入っていたという事実が最近になって公開された。ウラニウム濃縮など核兵器の開発に必須のアルミニウム管などの特殊物資が丹東の対北朝鮮貿易業者の鴻祥グループを通じて調達されてきた事実が明らかになったのだ。

  このため習近平国家主席をはじめとする中国指導部が激怒したという話も流れ出ている。中国当局が前例なき強力な捜査に着手するにつれ、馬暁紅会長の没落はもちろん鴻祥グループが空中分解する運命に直面したという分析が力を増している。24日、鴨緑江周辺の新安東閣の建物の16階にある鴻祥の事務室は出入り口が堅くロックされていて電気がついておらず暗黒天地へと変わった廊下は鴻祥グループの未来を象徴しているようだった。

  丹東では「対北朝鮮事業の従事者で馬会長を知らなければスパイ」という言葉が常識として通っていた。馬会長に会ってみたという人も簡単に何人も見つけることができた。彼らは「事業手腕が非常に優れた女傑」と口をそろえた。

  1971年生まれの馬会長は91年に丹東の金城商場というショッピングモールの従業員として社会生活を始めた。翌年から99年までは貿易業者である遼海輸出入公社丹東支社の職員として仕事をしながら20代を過ごした。当時、北朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる深刻な食糧難に苦しめられていた。食べ物を求めるためにできることは工場設備や部品などをはがして廃鉄鋼として中国に売ることだった。貿易会社員である馬氏もこの頃、対北朝鮮貿易に手をつけ始めた。馬氏は2006年に中国の週刊『南方週末』とのインタビューで「一日に10トントラック100台にトウモロコシを積んであげて北朝鮮の物を積んで運んできたがほとんど全て機械部品だった」と話した。

  98年に始まった韓国の太陽政策は、丹東の対北朝鮮貿易商が金の座布団に上がるチャンスを提供した。北漢山(プッカンサン)の品物を安値で買って韓国に送れば価格差で利益を残すのはもちろん関税免除など税金の恩恵を受けることができたためだ。20代の頃に北朝鮮との貿易経験を積んだ馬氏もこの機会を逃さなかった。馬氏は2000年1月に資本金1億9000万人民元で鴻祥実業を設立し、北朝鮮が必要とする小麦粉・トウモロコシ・石油などを調達した。北朝鮮に大型トラック80台を提供し、その代価として石炭・鉄鉱石・金属類を輸入できるようにした。

  2006年10月に北朝鮮が初めて核実験を行った直後、ほかの対北朝鮮貿易業者らが動揺している中でも馬氏は重油2000トンを輸出するなど北朝鮮との取引を継続した。「北朝鮮との取引はどのみち賭博が必要だ」という持論に従ったものだった。その頃、鴻祥は丹東の最大の対北朝鮮貿易業者に成長していた。零細貿易商は鴻祥に取引を委託することによって北朝鮮の物品の値段未払いや言葉の言い換えなどのリスクを減らすことができた。今日「丹東の貿易の半分は鴻祥を通している」という話が出る理由だ。貿易商のK氏は「5・24措置前は韓国人事業家も中国人同業者を通じて鴻祥に委託して対北朝鮮取引をする人が少なくなかった」と話していた。(中央SUNDAY第498号)

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