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日帝痕跡を文化空間に…群山市・旧市街の大変身

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.04.17 17:22
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群山市が旧市街に残されていた日帝時代の建築物を活用した都心再生事業で観光客を集めている。(写真=群山市)
数年前は町内の住宅のうち半数は空き家だった。街頭は昼間にも人通りが少なく、うら寂しかった。夜になれば街灯がないところが多く、薄暗くて犯罪が起きやすい地帯だと後ろ指を差された。だが、最近になって観光客が続々と押し寄せている。人と車が入り乱れ、道路が混雑なほどだ。翌月からは車両通行の規制を本格化させていく方針だ。

都心再生成功モデルとして脚光を浴びているのは、全羅北道群山市(チョルラブクド・クンサンシ)の蔵米洞(チャンミドン)と月明洞(ウォルミョンドン)。この地域は近代文化都市造成事業を通じて全国的な注目を浴び、平日700~800人、週末になると1日3000~5000人の訪問客が集まる。今年1年だけで70万~100万人の観光客が予想されている。

 
この辺りは内港が位置しているうえ、市庁や裁判所、警察署など官公庁が集まっていて、長年、群山市の中心的な役割を果たしていた。だが、1990年代に入り羅雲洞(ナウンドン)・米龍洞(ミリュンドン)・助村洞(チョチョンドン)が開発されて、急激なドーナツ化現象が進んだ。多くの住民は新市街地のアパートに居を求め、官庁も相次いで引っ越した。

スラム化していった旧市街の復活は日帝強制占領期間の収奪の現場という辛い歴史をうまく活用したおかげだ。群山地域には日帝時代に建てられた建築物170点余りが残っている。地方自治体はこれら施設を大胆に買いとり、教育と文化・体験が結びついた観光商品として新たに生まれ変わらせた。その中心に群山近代歴史博物館がある。182億ウォン(約20億円)をかけて延べ面積4200平方メートル規模で建設した地下1階・地上4階建ての博物館は、1930年代の生活像をのぞけるように醸造場や映画館、靴屋、米穀商会、人力車など街の姿を再現している。2011年9月の開館以来、今年2月までの累積観覧客は100万人を突破するほどの人気だ。このうち90%は群山市民ではない外地訪問客だ。文化体育観光部の調査によると、全国公立博物館203カ所のうち、特に優秀な博物館として5本の指に数えられるほど好評だという。博物館周辺の近代建築物を歴史ベルトとするまちづくり作業にも力を入れた。1922年に作られた旧朝鮮銀行の建物は近代建築館に、農民を相手に高利貸金業をしていた日本第18銀行は近代美術館になった。収奪した米を保存した糧穀倉庫は公演会場とギャラリーに生まれかわった。日帝時代の貿易会社の建物はカフェに、畳部屋を備えた日本式家屋は宿泊体験施設に改造した。

博物館周辺750メートル区間には“時間旅”通りも造成した。商店街・食堂の建物の外壁にはセメントやレンガの代わりに木材を使い、1930~40年代の雰囲気を感じられるようにした。

このような努力のおかげで群山市の近代文化都市事業は国土交通部景観評価とUN-HABITATの「アジア都市景観」評価で大賞を受賞した。昨年末には都市再生先導事業に指定されて100億ウォンのインセンティブも受けた。

ムン・ドンシン市長は「うまく造成されたインフラに、見どころや繁華街などさまざまなコンテンツを融合させる作業に力を注いでいく」とし「過去と現在だけでなく、未来も共に眺望できるように、セマングムと連係した観光コースを開発する」と話した。

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