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<インタビュー>「歴史否定する日本、その出発は戦後が米国の強要という考え」(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.25 10:50
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宋:日本はいま右傾化一路にあり嫌韓感情が広がりました。今後韓日関係はどのように進んでいくべきで、どのようにこれを解決していくべきだと考えますか。

姜:先ほど言及された「二重の否定」と関連して話してみましょう。日本で戦後時代は最も平和な時期だったと考えられていますが、これは米国によって強要された他律の歴史だったという自我分裂症のようなものが大衆心理の中に存在します。この分裂をどうにかして否定したいが、この分裂を除去するには戦前に戻るほかはないでしょう。すると韓国と中国からの批判の声に直面することになります。日本は百数十年間経済的・軍事的に先進国になったように見えますが、まだ自国のアイデンティティに対しては確信を持っていません。私はこの問題が継続して韓日中3カ国関係に影響を及ぼしていると考えます。ドイツと比較される点でしょう。ドイツは終戦以後アデナウアーがすぐにフランスや周辺国との和解の道に出ました。私たちには戻らなければならない故郷がある、それがまさに西欧でした。それでは日本は戻る所があったかと言えば、なかったのです。(アジアから受けることができなかったから)。この点が米国に対する実質的・精神的隷属を派生させ、いまでも日本では被害者意識と孤立感が強く底辺に流れる理由です。過去の否定を通じてさらに攻撃的ナショナリズムが登場する社会心理的背景でしょう。

 
宋:(彼は明確な答を下さなかった。筆者が彼の考えを解釈するとこうだろう)結局日本が「そうなので」被害者が加害者を許すべきではないだろうか…許すには記憶がとても鮮明だが。こうした意味でしょうか?

[インタビュー後記…]彼の目は澄んでいた

彼が学長だった聖学院大学に向かう道では雪が降った。東京で久しぶりに見る雪だった。キリスト教系の財団が設立したその大学には韓国人2世が多く目についた。学生たちの目は澄んでいた。姜尚中学長の目も年齢らしからず澄んでいたたが哀愁が映った。在日韓国人である彼は23歳の時に「永野鉄男」という日本の名前を捨て青春と決別した。それから民族離散(ディアスポラ)の周辺的アイデンティティを構築するのに40年を捧げた。東京大学教授職を未練なく離れ小さな大学に移籍したのは中心より周辺の知恵を体得しようと考える彼の人生哲学のためだった。彼は社会科学者であり作家だ。運命の臍帯を切ることができないディアスポラ知識人として彼にとって鎮海(チンヘ)生まれの母は存在のオマージュであり救いの井戸だった。そこで『母 オモニ』を書き、福島の津波とセウォル号沈没事故が重なり小説『心』を書いた。『悩む力』は日本で100万部以上売れた。彼の話題は東アジアに合わせている。日本・中国・韓国を包み込む認識地平を開拓してこそ彼の眠れない心に束の間でも平和の銀の雪が降るようだ。

[姜尚中とは…]

1950年熊本県生まれ。ドイツのニュルンベルク大学で政治学科政治思想史を専攻した後、98年に在日韓国人で初めて東京大学の正教授になった。昨年4月に聖学院大学学長に就任したが最近になり辞任した。在日韓国人2世としてアイデンティティに対する長い間の悩みを基に現代人を激励する『悩む力』、東日本大地震と福島原子力発電所事故、息子の死などを契機に『続・悩む力』などを著した。日本の放送局のメインニュースの解説者と新聞コラムニストとして活発な活動をしており、講演には毎回数百人の聴衆が集まるほど熱心なファンが多い。昨年3月に東京大学で開かれた個別講演には200人余りの学生と外部の人が参加した。


<インタビュー>「歴史否定する日本、その出発は戦後が米国の強要という考え」(1)

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