張成沢没落から1年…金正恩体制を固めようとしたが、外交がこじれる(1)

張成沢没落から1年…金正恩体制を固めようとしたが、外交がこじれる(1)

2014年11月11日17時02分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  その日の早朝、まだ完全に目が覚めていない時刻に訃告に接した。午前6時、北朝鮮官営メディアで「人民の名前で死刑に処することにした」という、張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長に対する裁判の結果を聞いたのだ。前日に開かれた国家安全保衛部特別裁判と処刑について伝えた朝鮮中央放送の昨年12月13日の報道だ。

  張成沢の処刑は電撃的に行われた。まさかと思われたが、結局、29歳(当時の年齢)の甥の手で、69歳の叔母の夫が刑場の露に消えたのだ。張副委員長が油断したのかもしれない。「まさか金正恩(キム・ジョンウン)が私を殺すだろうか」という誤った判断をしたということだ。しかし最高権力を握った金正恩は、もはや叔母の夫から小遣いを受けていた幼い甥ではなかった。

  張成沢没落の信号弾が打ち上げられて今週で1年を迎える。部下の李龍河(イ・ヨンハ)第1副部長と張秀吉(チャン・スギル)副部長ら労働党行政府の核心が電撃逮捕されたのが昨年11月中旬だ。行政府は公安機関を総括する党内核心部署だが、どうすることもできなかった。隠密な内偵と緻密なシナリオに基づき、電光石火のように去勢が断行されたのだ。張成沢も同時に軟禁された。

  この1年間、金正恩の権力は大きく揺れた。基準は張成沢反党・分派事件に対する功過のようだ。張成沢-金敬姫(キム・ギョンヒ)夫婦とともに後見グループの軸だった崔竜海(チェ・ヨンヘ)党政治局常務委員の独走が目を引く。黄炳瑞(ファン・ビョンソ)次帥に軍総政治局長の地位を譲るなどしばらく停滞したが、現在では牽制勢力がないようだ。

  張成沢が務めていた国家体育指導委員長も崔竜海が引き受けた。逮捕・捜査から裁判と死刑の過程をすっきりと処理した金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長も疾走している。金正恩のスイス早期留学時代に大使として世話をした李洙ヨン(イ・スヨン)は4月に外相に就任した。

  夫を亡くした金敬姫党書記は1年近く行方不明だ。死亡説まで出ているが、韓国情報当局は「身辺に問題はなく、ただ張成沢処刑により公開活動を自制している状況」と判断している。党行政府は解体され、メンバーは直撃弾を受けた。張成沢の直系に分類された文京徳(ムン・ギョンドク)平壌市党責任書記が粛清されるなど波風は続いている。その席には張成沢処刑に率先した軍の幹部、金寿吉(キム・スギル)中将(韓国の少将に該当)が座った。

  多くの話題と流行語も生んだ。判決文に金正恩第1書記に「適当に拍手した」という部分がその一つだ。張成沢をその追従者が「1番同志」と呼んだという判決文の内容も話題になった。表と裏で異なる行動をするという「面従腹背」と同じ意味の「陽奉陰違」という言葉も同じだ。金正恩の指示事項を頭を下げて手帳に几帳面にメモする幹部の姿から「メモする者だけが生き残る」という意味の言葉が生まれたのもこの頃だ。

張成沢没落から1年…金正恩体制を固めようとしたが、外交がこじれる(2)
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