<アジア大会>韓国野球代表、台湾破り2大会連続優勝

<アジア大会>韓国野球代表、台湾破り2大会連続優勝

2014年09月29日08時53分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
comment
0
share
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixi
写真拡大
黄載鈞の父ファン・ジョンゴンさん(左)と母ソル・ミンギョンさん。ソルさんが1982年ニューデリーアジア競技大会で獲得した金メダルを持って笑っている。
  週末ドラマの代わりに仁川アジア競技大会の野球ドラマが放送された。野球韓国代表の計画は最初からつまずいた。先発の金広鉉(キム・グァンヒョン、26、SK)が5イニング2/3を3失点して降板した。打線は台湾の変則継投に力を発揮できなかった。1回から7回まで試合の流れを引き寄せられなかったが、8回表にひっくり返した。

  韓国は6回裏、台湾に2点を奪われ、7回裏まで2-3とリードを許していた。残りのアウトカウントはわずか6つ。韓国は8回表、先頭打者の閔炳憲(ミン・ビョンホン、27、斗山)と金賢洙(キム・ヒョンス、26、斗山)の安打、朴炳鎬(パク・ビョンホ、28、ネクセン)の四球で一死満塁とした。続く姜正浩(カン・ジョンホ、27、ネクセン)が押し出しの死球を受け、3-3の同点となった。羅成範(ナ・ソンボム、25、NC)の二塁ゴロで三塁走者が生還し、4-3となった。

  逆転しても不安な状況で、黄載鈞(ファン・ジェギュン、27、ロッテ)が羅嘉仁からライト前安打を放ち、朴炳鎬と姜正浩がホームを踏んで6-3とリードを広げた。黄載鈞のタイムリーが出ると、韓国選手は勝利を確信して抱き合った。

  黄載鈞は母ソル・ミンギョンさん(54)に2つ目の金メダルをプレゼントした。ソルさんは1982年ニューデリーアジア競技大会テニス団体戦で金メダルを獲得した元選手。ソルさんと黄載鈞は韓国人で初めてアジア競技大会の母子金メダリストになった。父ファン・ジョンゴンさん(54)もテニス選手だった。

  黄載鈞の親は息子がスポーツをすることを望まなかった。さらに黄載鈞はサダン小学校時代、全校で何度か勉強の成績がトップになっていた。しかし息子はスポーツをすることを強く望み、結局、野球で成功して韓国代表となった。黄載鈞は決勝戦で試合を決める2点タイムリーを含む4打数2安打1得点と活躍した。勉強で全校トップだった息子が野球でアジアの頂点に立った。

  黄載鈞が金メダルを首にかけて親に電話をしたところ、ソルさんは涙を流して話を続けることができなかったという。黄載鈞は「野球で初めて優勝を経験した。うれしくて電話をしたところ、父は喜んで叫んでばかりで、母は泣いてばかりだった。私も込み上げてくるものがあった」と語った。

  韓国代表は8回表に大逆転するまで苦しんだ。2-3とリードを許した7回裏、無死一、三塁の危機を迎え、逆転は難しく見えた。しかし安志晩(アン・ジマン、31、サムスン)が登板して流れが変わった。安志晩は台湾の打者を三振、中堅フライ、左翼フライにしとめ、無失点でイニングを終えた。韓国代表の柳仲逸(リュ・ジュンイル)監督は「7回に追加で失点していれば厳しくなるところだった。安志晩がよくやってくれた。負けていれば仁川の海に飛び込む考えもした」と語った。笑いながら話したことだが、これまでの精神的な苦労を感じさせた。

  準決勝まで韓国は無敵だった。唯一韓国を脅かすと予想された台湾には予選で10-0と8回コールド勝ちをした。日本がプロ選手を送り出さないため、「韓国が独走する野球をアジア競技大会の正式種目として残すべきなのか」という懐疑論が大会中に出たりもした。韓国はプロ選手を初めて出した1998バンコク大会から2002釜山大会、そして2010広州大会で優勝している。

  ◆兵役免除を受けた選手=車雨燦(チャ・ウチャン、金相洙(キム・サンス、以上サムスン)、柳元相(ユ・ウォンサン、LG)、金ミン成(キム・ミンソン)、韓賢熙(ハン・ヒョンヒ、以上ネクセン)、李在学(イ・ジェハク)、羅成範(NC)、イ・テヤン(ハンファ)、ホン・ソンム(東義大)、呉載元(オ・ジェウォン、斗山)、黄載鈞、孫児葉(ソン・アソプ、以上ロッテ)、羅志完(ナ・ジワン、起亜)
【今日の感想】この記事を読んで・・・
興味深い
悲しい
すっきり
腹立つ
役に立つ

今日のイチオシ記事