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<インタビュー>新駐日大使「高齢でも仕事さえうまくやればいい」(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.27 11:37
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--成功した人生とはどういうものか。

「幸せな人生ではないだろうか。昔は目標を達成することが成功だと考えたが、今は自分が幸せなら成功だと考える。何をしようと、現在満足していればそれで成功だ」

 
--新駐日大使として覚悟を語ってほしい。

「韓日関係が難しい時に駐日大使という重責を引き受けることになり責任感が非常に重い。国家の間の関係も個人の間の関係と同じだと考える。良い時もあり悪い時もある。今は最悪の状況だ。しかしはっきりしているのは、こうした異常な関係が続いてはいけないという点だ。しかも来年は韓日国交正常化50周年だ。大統領も8月15日の演説で、来年は両国の関係が新たに出発する元年にしようと述べた。そうなるよう微力ではあるが最善を尽くしたい」

◆柳興洙(ユ・フンス)大使

1937年12月=慶尚南道陜川生まれ

58年=京畿高卒業

62年=ソウル大法大卒業、第14回高等考試行政課に合格

80年=ソウル市警局長、治安本部長。

82年=忠清南道知事

84年=青瓦台政務第2首席

85年=第12代国会議員(民政・釜山南-海雲台区))

92年=第14代国会議員(民自・釜山南区乙)、韓日議員連盟常任幹事

96年=第15代国会議員(新韓国・釜山水営)、韓日議員連盟副会長

98年=国会統一外交通商委員会委員長

2000年=第16代国会議員(ハンナラ・釜山水営)、韓日議員連盟幹事長

04年=政界引退宣言

08-14年=韓日親善協会理事長

◆インタビューを終えて

率直に語る姿が人を引きつける。赴任の準備に忙しいため、1時間ほどのインタビューを予定していたが、終わってみると2時間を超えていた。飾らない姿に、自分も知らないうちにのめり込んでいた。「こういう話をしてもよいのか分からないが、適切に判断してうまく書くものと信じて…」。柳大使はこのように言いながら、日本と関係がある家族史、国家試験合格後に警察を選んだ理由、故郷の先輩の全斗煥元大統領との関係などについて正直に語った。柳大使は出世が早いと考えて警察を選択し、それを基盤に政界の門を叩いたと話した。4選議員までしたが、「政治家の柳興洙」は落第生だという話もした。全斗煥大統領の力を受けたわけではないが、今でも付き合いがあると述べた。大使就任のあいさつにも行った。

柳大使は慶尚南道陜川で生まれたが、日本の京都で育った。小学5年の時に親と一緒に帰国し、8カ月後に韓国戦争(朝鮮戦争)を迎えた。慶南中学を出て1年浪人した後、京畿高に入学した。ソウル大法大を卒業した年、国家試験に合格し、警察官僚へと進んだ。日本語ほど思考も自由な柳大使からは喜寿の年齢も感じられなかった。ふさがった韓日関係を改善するためには、外交的官僚主義の枠から柳大使を自由にするのがよいという考えが浮かんだ。


<インタビ薃ー>新駐日大使「高齢でも仕事さえうまくやればいい」(1)

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