「悲しい」…77年前の孫基禎の悲痛(1)

「悲しい」…77年前の孫基禎の悲痛(1)

2013年08月08日10時35分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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左)孫基禎がベルリン五輪でゴールしている。(右)ベルリン五輪マラソンの表彰式。右からハーパー、孫基禎、南昇竜。
  独島(ドクト、日本名・竹島)問題、歴史教科書歪曲、日本の改憲と軍事大国化の動き、慰安婦妄言、靖国神社参拝…。日帝植民地支配から光復(解放、1945年)を迎えてから68年が過ぎたが、韓日関係は今も綱渡りのような状況が続いている。

  東アジアの友情を固める東アジアカップサッカー大会の韓日戦では、日本の観客が帝国主義侵略の象徴である旭日旗を振り、韓国代表サポーターは「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕で対抗し、お互いを刺激した。

  スポーツで韓日両国の不幸だった過去を代表する人物がいる。ベルリンオリンピック(五輪)の英雄、孫基禎(ソン・ギジョン)だ。1936年8月9日、30度を超える猛暑の中で韓国マラソンの偉大な歴史を作った。9日は孫基禎が2時間29分19秒の五輪記録をマークしてから77年となる日だ。

  孫基禎は表彰式でドイツ総統アドルフ・ヒットラーから優勝記念としてヨーロピアンオークの苗木を受けた。ベルリン五輪マラソン3位で銅メダルを首にかけた南昇竜(ナム・スンリョン)が「孫基禎が1位になったことより、胸の日章旗を隠せる苗木を持っているのがうらやましかった」と語ったその苗木だ。

  当時の30センチの苗木は年輪77年を体に刻みながら、周囲3メートル、高さ17メートルに育った。その木は今でも「ソウル中区万里洞孫基禎路101」の孫基禎体育公園で77年前のその日のように、熱い太陽を黙々と浴びている。

  五輪マラソン金メダルを首にかける栄光に輝きながらも笑えなかった悲運の男、孫基禎。彼が2002年に享年90歳で死去してから11年が流れた。2000年代以降に生まれた子どもたちにとって孫基禎はますます聞き慣れない名前になっているが、彼が残した精神と痕跡は孫基禎体育公園に静かに生きている。

  ソウル地下鉄2号線の忠正路駅を出て、路地を抜けて上がれば、マンションやアパートに囲まれた万里洞の丘の頂上に孫基禎体育公園がある。民族教育の産室だった孫基禎の母校、ヤンジョン高校があった場所だ。1988年にヤンジョン高が木洞に移転したことで孫基禎体育公園として生まれ変わり、昨年、孫基禎記念館が設立された。

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