【コラム】韓日通貨スワップ残酷史(1)

【コラム】韓日通貨スワップ残酷史(1)

2012年08月20日12時01分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
comment
0
share
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixi
  日本がお金で恩着せがましくしたのは昨日今日のことではない。何日か前に日本の官房長官が「さまざまな検討をすることができる」として問題にした韓日通貨スワップ協定も根が深い。通貨スワップは一種のマイナス通帳で、厳しい時に互いに金を貸す装置だ。始まりは1997年9月にさかのぼる。日本は当時アジア通貨の盟主の野心に満ちていた。香港で開かれた国際通貨基金(IMF)総会で内心を表わした。「日本が率先してアジアの通貨危機国を救済する」としてアジア通貨基金(AMF)創設を奇襲提案した。タイバーツ、マレーシアリンギットが暴落し韓国ウォンまで危険な時だった。当時日本は6000億ドルに達する米国債を持つ世界最大の外貨準備高を持つ国だった。ドルに対抗する強い日本円を夢見た。日本の大蔵省の役人らは公然と「日本が米国債を大量に売ればドルが揺らぐだろう」「中国と手を組んで米国をこらしめるだろう」と話した。ルービン米財務長官は「決してそんなことはない」として力で中国をそそのかし日本を孤立させ無力化した。AMF創設は先延ばしされ、日本はアジア通貨盟主の夢をあきらめなければならなかった。

  韓国はそのようなAMFを一番最初に支持宣言した。その年の11月、韓国は差し迫った状況だった。ドルが天井知らずに急騰し外国人投資家はソウルから脱出した。財政経済院の役人らはあちこちにドルを借りに行った。オム・ナギョン次官がそのころ極秘に日本に行ったのもそのためだ。同じ時刻に財政経済院は「AMFを支持する」という声明を出した。金を借りるのに役立つかと思ってのことだった。

  だが意味はなかった。日本は冷酷だった。「危機の時は互いに助けよう」と言いながら知らぬふりをした。榊原英資大蔵省財務官は冷酷だった。「政府レベルの支援はない」と切った。米国が容認しないという理由を挙げた。オム次官は手ぶらで戻らなければならなかった。10日余り後にはイム・チャンリョル経済副総理が直接飛んで行った。結果は同じことだった。三塚博大蔵大臣は「韓国を助けるなというのが米国の意向」として手で遮ったという。わずか3カ月前に自分の口から「韓国が厳しい時は積極的に助ける」と話した確約は履き古された草履のように捨てられた。韓国は最後の期待をそのようにたたみ、数日後にIMF行きを選ばなければならなかった。当時の財政経済院高官は「その年に日本がしたのは150億ドルの資金を韓国から真っ先に回収したことだけ。金を貸さなかっただけでなく、さらに雨が降っている時に傘を奪っていったようなもの」と振り返った。

【コラム】韓日通貨スワップ残酷史(2)
【今日の感想】この記事を読んで・・・
興味深い
悲しい
すっきり
腹立つ
役に立つ

今日のイチオシ記事