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「中国、韓国戦争で韓国民に与えた傷を謝罪すべき」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.10.04 15:17
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--中国の国益のための戦争経験が韓中関係の未来の障害にならないのか。

「毛沢東の個人的な事情、ソ連からの援助など朝鮮戦争参戦は当時の中国の立場では避けられない側面があった。 両国が歴史的な兄弟関係を回復するには、韓国国民に与えた傷について謝罪し、補償しなければならない。 それが出発点だと考える」

 
--どうしてその論文を書くことになったのか。

「すでに1993年、ソ連の文書の一部が解除され、戦争の原因が表れた。 私の研究の焦点は、国民党との内戦で疲弊した新生中国がなぜ台湾攻略を先送りし、朝鮮戦争に参戦することになったのかということだった。 金日成はスターリンが立てた操り人形ではなかったのか。 親ソ政権のために中国がなぜ派兵したかは学術的に興味深い研究テーマだった。 94年にエリツィン・ロシア大統領が金泳三(キム・ヨンサム)大統領に伝えた6・25戦争関連文書の写本を韓国の研究機関・学界の人たちから受け、人民解放軍の内部文書に基づいて論文を書いた」

--1950年当時、中共軍参戦の本当の理由は。

「何よりも毛沢東とスターリンの関係が最も重要な要因だった。 ソ連は第2次世界大戦当時、ドイツと戦って1200万人を失った。 スターリンは当時、電信や特使を通して10回余りにわたり毛沢東に派兵を要請した。 しかしスターリン政権の崩壊が憂慮されるほど切迫したソ連の事情を知っていた毛沢東はこれを黙殺した。 スターリンの報復は凄まじかった。 国際共産党機構を通して中国を非難する決議を採択した。 43年には親ソ軍閥の盛世才(1897-1970)が支配した新彊で、毛沢東の弟・毛沢民(1896-1943)が監房で殺害された。 そして米国の支援を引き出すために東奔西走した軍閥出身の馮玉祥(1882-1948)が48年、黒海海上のソ連船で原因不明の火災で死亡した。 毛沢東はいつでも自分の政権を覆しうるスターリンを意識するしかなかった。 毛沢東とスターリンの関係は例えれば本社の社長と地域本部長のような関係だった。 人事権者の主張をどうやって避けることができるのか」

--中国共産党政治局では参戦に反対しなかったのか。

「米軍が参戦する場合、親ソ連派が勢力を伸ばしていた満州地域でソ連軍が進駐するというおそれが当時の指導部に広まった。 人民政府副主席の高崗(1905-54)が実質的に支配していた満州地域の主力軍を6・25戦争に送って減少させる効果も狙った。 特に新中国再建の支援をソ連から受けなければならない中国としては、参戦を拒否するのが難しかった側面もあった」

--今後の計画は。

「オックスフォード大学で訪問学者として活動し、朝鮮戦争関連論文を英文で出す予定だ」

◇デビッド・チュイ博士=香港に居住する中国出身政治学者。 2000年に国家機密漏洩罪で懲役13年刑の宣告を受けて服役し、6月に減刑で釈放された。 1980年代半ば香港に渡り、官営中国国営新華社通信に在職。 香港中文大学で政治行政学修士を終えた後、英オックスフォード大で博士学位(政治学)を受けた。 81年に提出した報告書「香港一国両制提言」は党中央にまで伝えられ、指導部に深い印象を与えた。


「中国、韓国戦争で韓国民に与えた傷を謝罪すべき」(1)

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