<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(2)

<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(2)

2011年09月15日14時51分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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孫正義会長は米UCバークレー大経済学科在学当時、学費を準備するために発明に没頭した。左側の写真は孫会長(真ん中)と彼のアイデアを現実化するのに協力した工科大の研究員。
  1.番地数もないトタン屋根の家…16歳で志抱く

  3カ前、久しぶりに韓国を訪れた。青瓦台(チョンワデ、大統領府)を訪問し、記者懇談会も開いた。私としては韓国で10年ぶりとなる公式行事だった。行事が終わる頃、ある記者がぱっと手をあげてこのように尋ねた。

  「座右の銘が‘意高く’と聞きました。最近の韓国の若者はいろんな悩みを抱えています。若者がしっかりと志を持つにはどうすればいいのでしょうか」。

  私はためらわずに答えた。こういう質問に対しては胸の中にいつも答えを持って生きてきたからだ。

  「若さは無限の可能性です。どんな夢にでも向かっていけます。車や家ではなく、もっと多くの人々のための夢を抱いてほしい。他人の幸せのために悩む時、世の中を変えることができ、本人も幸せになれます」。

  実につまらなく古くさい言葉に聞こえるかもしれないが、私は実際にこうした考えで精一杯生きてきた。方向を決めたのは19歳の時だが、芽生えたのは16歳の時だった。すべての話の始まりにはある女性がいる。私の祖母だ。

  #豚を飼育する家の子

  祖母は14歳の時に日本に来た。その年に結婚もした。相手はなんと37歳、私の祖父だ。大邱(テグ)生まれの祖父も18歳の頃に玄海灘を渡った。祖母は日本で第2次世界大戦を経験した。泥水で子どもを育て、飢えをしのぐ惨憺たる毎日だった。14歳という年齢で、親せきが一人もいない他郷に一人で嫁いだ。祖母は朝鮮国籍で日本語もうまく話せなかった。どれほど孤独だっただろうか。私の父も中学生の頃から生業についた。7兄弟の一人として生まれ、本当に頑張って働いた。なんとか生きていこうとあがいていた。そういう中で私が生まれた。1957年8月だ。

  当時はまだ状況が少し良くなった時期だったと聞いた。崩れそうな小屋のようだが家もあった。佐賀県の韓国人部落に住んでいた。私の戸籍の本籍地には「佐賀県鳥栖市五軒道路無番地」と書いている。番地がなければ書かなければいいものを、あえて無番地と書くのはどういうことか。自分の土地ではなく国鉄の線路付近の空き地にトタン板を組み立てて暮らしていたので、正式に戸籍が認められなかったのだ。

  親は早朝から夜遅くまで休まず働いた。4兄弟のうち2番目の私は祖母の手で育てられた。祖母が私をかわいがってくれたことをはっきりと憶えている。祖母が「正義、行く時間だよ」と言えば、3、4歳の私はすぐにリヤカーに乗り、落ちないように手をぎゅっと握った。リヤカーは黒くて滑りやすかった。半分に切ったドラム缶3、4個が載っていた。残飯を入れるものだった。祖母はこうして駅前の食堂の残飯をもらって豚を育てた。幼かった私は何も分からなかった。私はただリヤカー乗って行くのが楽しいだけだった。「リヤカーがつるつるしていて、酸っぱいにおいがする。車輪がくぼみに落ちれば滑り落ちそうだ」。そう思いながら、祖母が「しっかりとつかんでいなさい」いう度にリヤカーに体をぴたっとくっ付けた。

  これほど好きだった祖母が大きくなるにつれて死ぬほど嫌いになった。祖母はまさに‘キムチ’だったからだ。キムチは言うまでもなく韓国だ。その事実に関連するすべてのもの、自分の人生を苦痛で満たしたもの。静かに「安本正義(幼い頃の孫会長の日本名)」という名前で生きなければならない日々。在日同胞であることを隠さなければならないということが自分にとってより大きなコンプレックスだった。祖母をひどく嫌った。わざと避けていた。

  「差別」に対してより深刻に悩むことになったのは、幼い頃に一時抱いた夢のためだった。私は小学校の教師になりたかった。三上喬という素晴らしい先生に出会った影響が大きい。夢を話すと、父は在日同胞では教育公務員にもなれないと言った。私はすぐ「それなら帰化させてほしい」と言った。父は「小学校の教師も立派な職業だが、お前はそれよりも大きくなれる。別の方向で素質を生かしてみろ」と私を言い聞かせた。その日から数日間、私は父と話さなかった。悩んだ末、その夢はあきらめることにした。そのようなこと、それよりも軽い痛み、重い痛みとジレンマが随所で出没した。

<創刊企画>日本IT界の神話、孫正義「志高く」(3)
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  • 孫正義会長は米UCバークレー大経済学科在学当時、学費を準備するために発明に没頭した。左側の写真は孫会長(真ん中)と彼のアイデアを現実化するのに協力した工科大の研究員。
  • 孫正義会長が中央日報連載を記念して揮毫した座右の銘「志高く」。