【コラム】韓国人は勇敢だった(1)

【コラム】韓国人は勇敢だった(1)

2010年09月08日16時59分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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   その日の早朝、筆者は台風の真ん中に立っていた。 生涯で最も勇猛な風を全身で受けたのは幸運だった。 下手をすると自分の命を落とすおそれもあったが、その短い幸運の現場へと筆者を導いたのは早朝の会議だった。 家を出る前、「正午上陸」という朝刊の記事を確認していたため、騎馬兵のように北西側に群れを作る黒い雲を一種の先発隊と誤認したのだ。 すでに荒れた状態の街に暴風が吹きつける。 看板が飛ばされ、信号機が揺れている。 街路樹が倒れ、どこからか鋭い破裂音も聞こえた。 市民と学生は建物の中に避難した。 その日朝、首都圏の2000万人の市民は天池を揺るがす風にどうすることもできなかった。

  車はなんとか風が遮られた場所にたどり着いて止まった。 6時34分、台風7号が江華島(カンファド)に上陸したというニュースをラジオで聞いたが、台風警報が発令されたという内容はなく、どう対処しろという話もなかった。 「視線集中」の孫石熙(ソン・ソクヒ)教授が慌しく台風状況を伝えていた。 街路樹と電信柱が倒れた場所、渋滞地域、破損したガラスの破片や瓦が吹き飛んだ危険な場所を続々と中継し、地下鉄が停止したため出勤時間を調整するよう伝えた。 孫石熙教授が気象庁の関係者を呼んだ。 「海水面の温度のため加速度がついた台風7号が予想よりも早く上陸した。 注意が必要だ」ということだった。 忠清南道(チュンチョンナムド)の海岸と泰安(テアン)半島を襲った台風7号が、無防備状態のソウルをじゅうりんしている時だった。 教育科学技術部が登校時間を遅らせると発表した時刻は8時。子どもを危険地帯に送り出した後だった。

  25年前の夏、米ボストンで体験したことだ。 風速50キロの強風を伴ったハリケーンがボストンに急上昇すると予報されると、各機関は対策会議を開き、休業を決定した。 大学も休校となった。 緊急事態に備えて食糧とろうそくを準備し、窓にテープを貼り、脆弱なところをあらかじめ手入れするよう要領も知らせた。 準備を終えた人々は家の中に閉じこもり、その悪名高い風を待った。 知り合いと一緒にビールパーティーを開く人たちもいた。 ところがハリケーンはボストンから100キロほど離れた内陸都市に方向を変え、アパラチア山脈にぶつかって消えた。 人々は意味もなく大騒ぎをしたかのように物足りなさを感じていた。 その騒ぎのおかげで人命も財産も被害を受けなかった。

【コラム】韓国人は勇敢だった(2)

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