【コラム】恣意的に作られた親日人名辞典
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.11.06 12:29
「詩人、李漢稷(イ・ハンジク、1921~76)の父親は帝国主義・日本による植民支配時代に中枢院(朝鮮の官庁名)の参議、慶尚北道(キョンサンブクド)知事などを務めた親日派だった。1950年に李漢稷は釜山(プサン)で、当時副大統領だった金性洙(キム・ソンス)の娘と結婚式を行った。しかし金性洙は李漢稷が親日派の息子だという理由から、結婚式に出席すらせず、その後、この夫婦に徹底的に背を向けた」(「鄭奎雄の文壇の裏街道」 11月1日付の中央SUNDAY)。
「いわゆる民間の有志らが警察の指揮の下、腕に黄色い腕章をつけて、叫び、怒鳴りつけていた…(夢陽・呂運亨)。黄色い腕章をつけて街を闊歩(かっぽ)していた…防空訓練などの際は身を隠れてしまうほうがかえって良いのでは。私は嘆きながら、彼の闊歩する後姿を見つめた」(1949年7月号の「新天地」)。
民族問題研究所があさって、およそ4300人の名前を掲載した「親日人名辞典」を出版するという。これまで2回にわたり見本として発表された名簿によると、親日派の息子だった娘婿に徹底的に背を向けた仁村・金性洙(インチョン、キム・ソンス)は「親日派」の烙印を押されることになる。植民支配時代に講演を行ったからだという。