「竜や鳳凰は使うな」…日本の“創地改名”の事例

「竜や鳳凰は使うな」…日本の“創地改名”の事例

2009年10月09日11時51分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「植民地の土地に竜の字が入れば民たちの気が強くなるのでいけない」「日本の美しい地名のような名前を使うことができないから変えよ」--。

  日帝は韓国の民族精神とアイデンティティを抹殺するために姓と名前を強制に変えさせた。いわゆる創氏改名にも由来を求めにくい悪辣な政策だった。ところが日帝は韓国固有の地名までも強制で自分たちの便宜に合わせて変えてしまった。いわゆる創地改名だ。

  奇巌絶壁と滝が秀逸な景観を誇る慶北青松郡盈徳郡(キョンブク・チョンソングン・ヨンドククン)にかけてそびえる周王山(チュワンサン)。ここには荘厳な3つの滝がある。第一の滝、仙女湯、第三の滝がそれだ。ところでこれらの名前は元々それぞれ竜湫(ヨンチュ)滝、中竜湫、竜淵(ヨンヨン)滝(あるいは上竜湫)と呼ばれた。日帝は滝の名前に竜が入っており、植民地民の気が強くなる懸念が高いという口実で、改名をしてしまったのだ。

  慶尚北道慶山市竜城面(キョンサンプクト・キョンサンシ・ヨンソンミョン)にある争光里(ジェングァンリ)。ここは元々「日光里」(イルグァンリ)だったが、日帝は「景色が良くて美しい日本の“日光”とまったく同じだ」として強制的に名前を変えてしまった。大田(テジョン)の鶏足山(ケジョクサン)は鳳凰山(ポンファンサン)だったが、日帝が鳳凰をニワトリに格下げし、名前を鶏足山にした。ソウル江北区(カンブクク)と京畿道高陽市(コンギド・コヤンシ)境にある白雲台(ペクウンデ)も日帝が住民たちの気をくじくため「白雲峰」(ペクウンボン)に変えた。

  韓国の伝統的地名には「○○コル」「○○ベミ」「○○マル」など固有の言葉が多かった。特に名前だけでその地域の特徴をよく示し、情があふれた地名が多かった。しかし日帝はさまざまな言い訳で地名を変えた。

  仁川訥木(インチョン・ヌルモク)マウルは乙旺里(ウルワンリ)に、水原(スウォン)のペナム(=梨の木)コルは梨木(イモク)洞に、栗田コルは栗田(ユルジョン)洞に、軍浦のふもとは山本(サンボン)に、安城スェッコルマルはシンドン里に…。

  563周年ハングルの日を前に最近、京畿文化財団が発刊した「朝鮮地誌資料-京畿編影印本」にもこうした事例がよく現れている。この資料集を見れば日帝時代に漢字式に変わった地名の昔の国語名が詳しく出ている。

  富川市松内(ソンネ)は松の木が多いと言ってソルアンマル、果川市立岩里はソンバウィ(切り立ったようにぐんと立ってある岩)と呼ばれていた。竜仁市馬牙山は頂上の岩が馬が口を開けた姿と似ているからとマルアカリ山、新里(シンリ)はセマル(新しい村)、楊平・高ヒョン里はトェンゴゲ、安山本五(ポンオ)洞はベウッ、安養・葛山(カルサン)洞はカルムェなどと呼ばれた。

  



  資料集発刊に参加したシン・ジョンウォン韓国学中央研究院教授は「日帝時代、漢字式名称に変わった事例が多いが、固有語を無理やりに変えて本来の意味と全く違った地名を持つようになった」とし「今回の地理情報資料集は日帝時代を経て歪曲された地名の本来の名称を確認し、地域アイデンティティを確立するのに大きく役に立つ」と述べた。

  慶北漆谷郡(チルゴククン)の倭館邑(ウェグァンウウプ)は「倭館」が日本の人々の宿所だったという理由などから付けられた地名という説があり、住民たちが改名を要求している。

  ソウル市内主要洞の名前も日帝時、強制的に漢字式名前を使うようになった事例が多い。鍾路区観水洞(チョンノグ・クァンスドン)の場合、「広い橋」という意味の「ノドリ」だったが日帝が清渓川(チョンゲチョン)の流れを察する所という意味の観水洞に変えた。「ジャッゴル」と呼ばれた東崇洞(トンスドン)も日帝が行政便宜のために崇教坊(朝鮮時代行政区域)の東という意味の東崇洞に改名した。

  ソウル市民がよく訪れる北漢山(プッカンサン)も高麗(コリョ)時から三角山(サムガクサン)と呼ばれたが、日帝が行政区域改編で北漢山と名付けた。2007年10月から三角山という本来の名前を取り戻す汎国民署名運動をしている実情だ。
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